約 3,810,861 件
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18254.html
◎ 浴槽にお湯を張って、私は一人で風呂に浸かる。 日本の風呂と違って比較的浅い浴槽だから、お湯を張るのは五右衛門風呂より簡単だった。 いや、お湯を張る……ってのは、ちょっと違うか。 ムギが見つけてくれたバッテリーに、 片っ端から電気ポットをタコ足配線で繋いで、沸いたお湯を浴槽に入れてるだけだからな。 ちなみに使ってる水は、コンビニとかで見つけたミネラルウォーターだ。 贅沢な気はするけど、水道は使えないし、流石に近所の川から水を汲んでくるわけにもいかない。 とは言え、正直、風呂一つにかなり手間が掛かってる気がしないでもない。 でも、今はそれがありがたかった。 実は今日は梓が風呂当番だったけど、無理を言って代わってもらった。 梓は不審そうな表情を浮かべていた。 だけど、それは「私が一番風呂に入りたいから」って言って、どうにか誤魔化した。 落ち着く時間が欲しかった。 面倒な作業を行いながら、自分の考えをまとめたかったんだ。 まとめなきゃ、唯とムギの前で落ち着いた姿を見せられないからだ。 湯船に浸かりながら、唯の姿を思い出す。 憂ちゃんみたいなポニーテール、和みたいな眼鏡……。 正直言って、唯が何を考えてるのかは理解し切れてない。 唯は単純に今この場所に居ない二人の真似をしたかっただけかもしれない。 ちょっと思いついて、やってみただけなのかもしれない。 でも、その心の奥底に寂しさがあるのだけは間違いないはずだった。 どんな理由があるにしても、唯は自分の中の寂しさと戦うためにそんな恰好をしてたんだ。 過去と立ち向かうために、きっと……。 羨ましかった。 羨ましくて、怖い。 私は未来に進むために過去を見ないようにした。 未来に突き進まなきゃ、恐怖でどうにかなっちゃいそうだった。 だから、私は残された皆と一緒に、この世界で生きてく事を重視しようって思ったんだ。 失った物にいつまでも目を向けていられるほど、私は強い精神を持ててない。 胸の痛みと戦いながら、失くした物を捜し続ける勇気なんて持てない。 これ以上失いたくないから、私は失くした物より残された物を護りたいんだ。 本音を言うと、過去に目を向けられる唯達を羨ましく思う気持ちはある。 私だってそうしたかった。 出来る事なら。 だけど、それはしちゃいけない事だったんだ。 絶対に、しちゃいけない。私だけは、それを選んじゃいけない。 過去に目を向ける事は立派だけど、過去ばかり見てちゃ絶対に前には進めない。 残された五人の中のリーダー的な存在の私だけは、それをやっちゃいけないって思うんだ。 残された皆を、何が何でも護るためには。 それにこれは私だけの決意じゃなくて……。 「失礼します」 不意にバスルームの扉が開いたかと思うと、聞き覚えのある声が響いた。 私はちょっとびっくりして、つい胸元を二の腕で押さえてしまう。 やってしまった後で気付く。 私、何でこんな女の子っぽい行動してるんだ……? 別に見られて困るような身体じゃないじゃないかよ。 見られるほどの凹凸が無いって意味だが……。 いやいや、そういうのはどうでもよくて……。 バスルーム内、立ち込める湯気の中、目を細めて突然の訪問者に視線を向けてみる。 正体は声で分かってたけど、自分の目で確認しない事にはすぐに信じられそうになかったからだ。 訪問者は長い黒髪を下ろし、タオルも巻かずに全裸でバスルームに入って来ていた。 そりゃそうだ。 銭湯ならともかく、個人用のユニットバスに入るのにタオルを巻く奴は居ない。 いや、小学生の頃の澪は恥ずかしがって巻いてたっけか? 確か「すぐにお風呂に浸かるんだから」って澪の巻いたタオルを無理矢理剥ぎ取った覚えがあるな……。 まあ、それはともかく。 私はその訪問者の予想通りの顔を確認すると、少し溜息を吐きながら言ってやった。 「何だよ、梓……。 まだ私が風呂に入ってから十分も経ってないじゃんか。 おまえは私を大雑把でいい加減って思ってるかもしれないけど、 そんなカラスの行水みたいな風呂で満足出来るほど大雑把じゃないんだぞー」 少し頬を膨らませてやると、私のその表情を見た梓が苦笑して首を傾げる。 どうも私の風呂を急かしに来たってわけでもないらしい。 梓は長い髪を少し後ろに流すと、湯船に手を置いて笑った。 「違いますよ、律先輩。 たまには気分転換に私も律先輩とお風呂に入ってみようかって思ったんです。 ……ご迷惑ですか?」 「いや……、別に迷惑じゃないけどさ……。 でも、どんな風の吹き回しだ? おまえ、この前まで学校に居た時も、私と風呂に入ろうとしなかったじゃんか」 「だから、気分転換ですよ、気分転換。 それに私とお風呂に入りたがらなかったのは、律先輩の方もじゃないですか。 律先輩こそ、どうして私とお風呂に入るの嫌がってたんですか?」 梓が頬を膨らませながら微笑む。 一緒に風呂に入ろうとしなかった私を怒ってるわけじゃないらしい。 純粋に疑問に思ってるだけみたいだな。 でも、……あれ? 確かに私は梓と一度も風呂に入ってないな。 憂ちゃんや純ちゃん、和ですら一緒に風呂に入ってたのに、 何故か梓と澪とだけは一緒に風呂に入った覚えが無い。 澪は顔馴染み過ぎて気恥ずかしかったからだけど、梓の方はどうしてだったっけ? はっきりとは思い出せない。 でも、確か私と同じくらいの体型の梓と自分を比較するのが恥ずかしかったからだった気がする。 不本意な事だが、軽音部設立メンバーの中で一番身体にメリハリが無いのは私だ。 悲しくなるくらい、メリハリと凹凸が無い。 それでも、後輩の梓には何とか勝っていた。身長も胸も勝っていた。 万が一……だけど、梓に胸で負ける事になったら、私はしばらく立ち直れそうにない。 だって、あの幼児体型の梓だぞ? あの幼児体型の梓にまで負けたら……、そう思うと怖くて梓と一緒に入れなかったんだ。 今思うと、ものすっごく下らない理由だな……。 だけど、梓が私と風呂に入りたがらなかったのも同じような理由だろうな。 梓の場合は同じくらいのレベルだと思ってた私が、成長してるんじゃないかって心配してたはずだ。 それを確かめたくなくて、一緒に風呂に入る気になれなかったんだろう。 心配するな、梓。 私もおまえと同じく全然成長してないから……。 失礼な気がしながら、私は髪を下ろした梓の身体を見つめてみる。 今まで梓とは何度か風呂に入った事があるけど、 初めて風呂に入った時から胸も腰回りも全然変わってないように見えた。 まあ、その柔らかそうな肌が劣化してるわけでもないし、 シワが増えてるってわけでもなさそうだから、女としては悔しさと喜びがトントンって感じかな。 「何ですか、律先輩……?」 私の視線に気付いたらしく、ジト目になった梓が私に訊ねる。 私は肩をすくめると、浴槽の隅に背中を寄せて梓を手招きしてやった。 「悪い悪い、何でもないって。 いいよ、たまには一緒に風呂に入ろうぜ? 梓もそのままじゃ風邪ひいちゃうぞ? 若干狭くなるけど、ま、二人なら何とかなるだろ」 「はい、それじゃ失礼しますね。 ありがとうございます、律先輩」 笑顔になった梓が、お湯を何度か自分に掛ける。 それから、私に背中を向ける体勢で浴槽に入った。 お湯を高く張ってるわけじゃないから、お湯が浴槽から溢れる事は無かった。 二人で並んで体育座りしてるみたいな体勢になる。 何だか変な感じだな。 折角だから梓も私と向き合う体勢で浴槽に入ればよかったのに……。 って思ったけど、その自分達の体勢を想像してみて、すぐに思い直した。 二人で全裸で至近距離で向かい合うとか、何だよ、その体勢……。 いくら何でも恥ずかし過ぎるだろ……。 そうだ。 二人でちょっとだけ立ち上がって、二人で肩を並べる体勢で浴槽に入り直すのはどうだろう。 それなら漫画とかでもよく見る体勢だし、無理なく会話出来るよな。 そう考えて立ち上がろうとした瞬間、 梓が首だけ私の方に回して視線を向けている事に気付いた。 私と梓の視線が交錯する。 梓の背中と私の膝や腕なんかが触れ合う。 何となく、まあ、いいか、と思った。 この体勢でも会話が出来ないわけじゃないしな。 たまには、こういうのも悪くないかもしれない。 急に。 梓が苦笑しながら喋り始めた。 「やっぱり……、ちょっと狭かったですね……」 「だから言っただろうが、中野よ……」 私はお湯に濡れた梓の頭を掴み、手の中でクルクルと回してやる。 分かり切った事を言うなってんだよな……。 「やめて下さいよ、律先輩。 お風呂の中でそれやられるとのぼせやすくなるじゃないですか」 言いながら、梓が微笑む。 元気だよな、こいつは……。 でも、梓の言う事にも一理ある。 それなら久々にチョークスリッパーでも喰らわせて……。 と、そこで不意に私は妙な事に気が付いた。 そういや、今まで梓の日焼けが痛いだろうからってチョークを自重してたんだが、 少し肌寒いロンドンに転移して三日経つってのに、何で梓の肌はまだ日焼けしてんだ……? 赤ちゃん並みの新陳代謝の梓だぞ? あっという間に日焼けが治っててもおかしくないはずだろ? 私は首を傾げ、唸ってしまう。 「あれ? どうしたんですか、律先輩? もしかして律先輩の方がのぼせちゃいましたか? すみません、大丈夫ですか?」 梓が心配そうに私の顔を覗き込んで来る。 その梓の顔を見て、私は少しだけ思考を元に戻す事が出来た。 心配そうな梓の頭を軽く撫でて言ってやる。 「いや、何でもないよ、梓。 まだのぼせてもないって。 ちょっとどうでもいい事を考えちゃっただけだよ」 「本当ですか? 本当に大丈夫なんですか? 何かあったら、いつでも私に言ってくださいよ?」 「ああ、分かってるって、梓。 サンキュな」 また、梓の頭を撫でる。 うん、治ってない梓の日焼けなんて、今はどうでもいい事だよな。 多分、たまたま治りが遅いだけなんだろうし、今は私に気を遣ってくれる梓の様子が嬉しい。 とても……、嬉しい……。 思った。 私が過去よりも未来を大切にしようと思えたのは梓が居たからだって。 この閉ざされた世界に来る前から、梓は私達に翼を与えてくれた。 未来へ進む意志ってやつを与えてくれた。 それだけじゃない。 ロンドンに転移してからも、梓は私達を、私を支えてくれた。 今だって、きっと私の事を心配して一緒に風呂に入ってくれてるんだ。 私を励ますために。 無理をしてるのかもしれないけど、まっすぐに未来に進もうとしてるんだよな、梓は。 だったら、私は未来に進まなきゃいけないじゃないか。 梓と一緒に前に進むべきなんだよ、私は。 それが皆のために繋がるはずだ。 私は右手を梓の頭から肩に置き直して、梓の温もりを感じる。 温かい……。 風呂には入ってるからってだけじゃなく、梓の全身は心から温かい。 梓と一緒に進んでいければ、何だって乗り越えられる。 乗り越えたい。 「あの……、律先輩……」 梓が笑顔を消して、躊躇いがちに口を開いた。 何か言いにくい事を言い出し始めるつもりなんだろう。 多分、それは私も分かってたけど、梓の言葉を止めようとは思わなかった。 話しにくいけど、話しておきたい事でもあったからだ。 梓がゆっくりと続ける。 「唯先輩の事なんですけど……、律先輩も見ましたよね? 唯先輩の憂と和先輩みたいなあの恰好……」 やっぱりそうなんだな、って思った。 今日は梓は唯と澪と一緒にホテルに留守番してる日だったんだ。 私より先に唯の姿を見てても全然不思議じゃなかった。 唯の姿を見て、梓はどう思ったんだろう。 多分、残された仲間の中で、一番私に近い考え方を持ってるのは梓だ。 未来に進んで、残された仲間達を何としても護りたいって思ってくれてるはずだろう。 そんな梓が唯の姿を見て思った事は……。 「ああ、見たよ。正直、驚いた。 唯の奴があんな恰好をするなんて、思ってもみなかったからさ……。 唯の想いが……、痛いくらい分かったよ……」 私が呟くと、梓も神妙な表情で頷いた。 辛そうだけど、でも、何かを決心したみたいな表情だった。 梓は私の方に少し近付いてから、口を開いた。 「私も唯先輩の気持ちは分かります……。 私だって、どんな形でもいいから、憂達を感じていたいって思いますし……。 憂や和先輩の真似をする事で憂達を感じられるなら、それでいいのかもとも思います。 それが……、唯先輩の選んだ事なんですから……。 でも……」 「ああ……、そうだな……。 でも……、だよな……」 梓の言葉は私が継ぐ事にした。 梓にばかり辛い言葉や言わせたり、痛い決心をさせてちゃいけないって思ったからだ。 私だって、梓を引っ張ってやらなきゃいけないんだ。 「唯は……、唯達はそれでいいと思う……。 唯の姿を見ると、憂ちゃんの事を思い出して辛くなるけど、それでいいんだよ、きっと。 あいつには……、皆の過去を持ち続けてもらおうって思うんだ。 私は皆の未来を探したいし、守りたい。 その分、唯達には私と梓の過去を捜してもらおう。 私と梓は唯達の未来を見つける。唯達には私達の過去を捜してもらう。 役割分担だよ、バンドのパートみたいなさ。 それがきっと……、一番いい事なんじゃないかな……」 私が想いを言葉にすると、「はい」と梓が頷いてくれた。 実は本音を言わせてもらうと、かなり無理をしてた。 必死に皆の事を考えて、どうにか無理矢理に出せた答えだった。 唯の姿を見ているのは辛い。過去を思い出して悔しくて、悲しい。 だけど、唯の選択は私が選びたかった選択でもあるから、 せめてその唯の、唯達の気持ちだけは守りたかったんだ。 だから、きっとこれが私に出せる最善の答えなんだと思う。 私達は未来に突き進んで、唯達は過去を大切にするんだ。 それでやっと皆が生きていけるはずなんだ。 胸に痛みを抱えながらでも……。 急に梓が笑顔になった。 優しい笑顔と甘い声色で喋り始めた。 「もう……、律先輩に全部言われちゃいましたね……。 律先輩ったら大雑把でいい加減なのに、色々考えてて困ります。 たまには私にもカッコつけさせて下さいよー」 何を言ってるんだよ、梓。 私が前に進めてるのはおまえのおかげだよ。 おまえが支えてくれて、励ましてくれるから、私は未来に進めるんだ。 おまえが私達に翼をくれたんだ。 おまえの笑顔が私を私で居させてくれてるんだ。 梓が居るから……。 梓が……。 そうだよ……。 きっと梓なら何度も私を立ち直らせてくれるし、 何があったって私を支え続けてくれるはずなんだ。 私は両手を伸ばして梓の肩に手を置く。 梓が私の方に視線を向ける。 私の大好きな笑顔を見せて、温かさを手のひらに感じさせてくれてて……。 もっと……、梓の体温を感じていたい……。 心にぽっかり空いた穴を、誰かの体温で埋めたい。 梓だってそう思ってるはずだ。 たった五人きりの世界、誰かの体温を感じたいって思ってるはずなんだ。 梓の柔らかそうな唇が目に入る。 梓の唇に私の唇を重ねたら、この不安は消えるだろうか。 梓の不安も消してやる事が出来るだろうか……。 そうだな、大丈夫。女同士でも不安を消すためならキスくらい別に……。 そうして私は……、 梓の肩を私の方に引き寄せようとして……。 限界の所で押し止めた。 どうにか……、それ以上の事をせずにいられた。 梓の両肩から手を離して、嫌な汗を掻くのを感じながら拳を強く握り締める。 何だ……? 今、私は何をしようとしてたんだ……? 梓を抱き締めようとしてたのか……? 抱き締めて、キスをしようとしてたのか……? どうして……? 何で私は急に梓にそんな事をしようと……。 自分のしようとした事が信じられなかった。 裸で梓とキスをしようとするなんて、どうかしてる。 そんなの一時の気の迷いだ。 そうに決まってるじゃないか。 どうして私が梓とキスしなくっちゃいけないんだよ。 女同士だし、梓の事は好きだけど、そういう意味なんかじゃないんだ だけど……。 必死に自分の行為を否定しようとしながら、 妙に冷静な自分が自分の行動を客観的に判断してしまってた。 私は寂しかったんだ、って。 寂しかったから、梓の体温で自分を慰めたかったんだ、って。 誰かの温もりを感じてたかったんだ、って……。 大好きな梓なら私を受け止めてくれるはずだって思って……。 いや、それならまだ全然マシだった。 私がさっき考えてたのは、もっとずっと最低な事だった。 梓の事が好きなら、好きだって言えばいい。 好きだって言って、それから慰め合いになるのなら、それはそれで一つの選択肢だ。 でも、違う。さっきの私は全然違う。 未来に進むための支えって言い訳を考えて、 梓なら私を拒否せずに受け入れてくれるはずだって下心も持って……。 皆の未来を守るんだから、それくらい許されるって思っちゃってたんだ、私は……。 何だよ。 何なんだよ。 そんなの許されるわけないだろ! どうしてそんなの許されるって思っちゃったんだよ! どうかしてるぞ、私は! でも……。 でも……。 気が付けば、私はまた梓に手を伸ばそうとしてしまっている。 梓を抱き締めて、体温を感じようとしてしまっている。 心に空いた穴を塞ぐためなら、何だってしてしまいそうになっている。 さっきの決意が馬鹿みたいだ。 未来に進むって考えてたのは建前だったのか? 辛かったのは確かだ。悲しかったのは本当だ。苦しかったのは現実だ。 だけど、皆の未来を護るはずの私が、 梓の未来を奪おうとしてるなんて、どういう事だよ……。 それが許されるって考えてるとか、最悪以外の何物でも無いじゃないか……。 どうやら……、私は自分で思う以上に浅ましくて最低らしい……。 「律先輩……? どうか……したんですか……?」 39
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18248.html
その言葉を最後まで言う事は出来なかった。 どうにか出せた私の勇気が二人に届く事は無かった。 風が、吹いた。 そりゃ暑苦しいから窓は開けていた。 でも、だからって、室内にこんな激しい風が吹き込むもんか。 そう。 それは、一陣の風。 目を開けていられないくらいの激しい風。 まるで……。 まるで、この世界に迷い込んだ日のあの風のような……。 風は数秒くらい吹いてただろうか。 風が止まった後、目を開けるより先に、違和感に気付いた。 違う。 空気や、雰囲気や、何もかもが、今までとは全然違う。 大体、机の上に立っていたはずなのに、 今足下に感じるこの感触は……、土……? 目を開ける。 目を開けたってどうなるわけでもないかもしれない。 でも、目を開けないわけにもいかなかった。 「な……っ?」 それ以上、言葉が出なかった。 これまで散々異常事態を経験してきたってのに、 それでも予想だに出来なかった事態に脳が反応し切れてない。 風が止んだ瞬間、気が付けば私達は見知らぬ野外に佇んでいた。 教室も、机も、楽器も、その場にあったはずの物は何一つ存在していなかった。 その場にあるのは着の身着のままの私と澪、唯、ムギ、梓……。 あ……れ……? 何だ……? 何だってんだ……? 今度は何が……、何が起こったってんだ……? 「純……? 何処なのよ、純ーッ?」 梓の声が聞こえる。 そうだ。見当たらない、純ちゃんの姿が。 さっき折角勇気を出して『純』と呼んでみたあの子の姿が……。 それに……。 「憂……? 憂ーっ! 何処に行ったのー? 出ておいでよ、憂ーっ! 出て来てよーっ! 憂ーっ!」 張り裂けそうなほど大声の唯の声が響く。 外だってのに、耳に響くくらいの大声。 でも、返事は無い。姿も存在しない。 唯の大切な妹、そして、私の大切な友達の憂ちゃん……、『憂』の姿も。 更に。 「和! 和ああああああっ!」 長い黒髪を震わせ、喉を震わせて澪が叫ぶ。 キーボードも、和の姿も、その場には無かった。 私達の元生徒会長……、頼りになって、 こんな世界でも私達を引っ張ってくれていた眼鏡の友達が。 三人とも、忽然と姿を消していた。 いや、逆なのか? 姿を消したのは私達の方で、三人は教室に取り残されてるのか? 違う! そんな事はどうでもいい! つまり……、つまり、これは……。 「もうやだ! もうやだああああああっ!」 叫んだのは澪じゃなくてムギだった。 その場に崩れ落ち、大粒の涙を流し、絶叫を始める。 自分も辛いだろうに、傍に居た澪がムギの肩に手を置いた。 でも、それ以上の事は出来てなかった。 澪だって、絶叫したいくらいに怖いはずだ。 私だって……、 私だって、頭の中がぐしゃぐしゃで、 何が起こったのか分からなくて、 怒るべきなのか泣くべきなのかも分からなくて。 ただその場に立ち竦んでしまって。 不意に。 制服の袖に違和感。 梓が私の袖を掴んで。 泣き出しそうな表情で私の袖を掴んで。 でも、何も出来なくて。 何をしたらいいのか分からなくて。 頭の中が真っ白で。 だけど、梓が私の袖から二の腕に手を回し直した事で、 どうにか頭が働くようになって、そして、気付いた。 私……、ここを知ってる……。 私だけじゃなく……、ここに居る五人なら全員知ってるはずだ。 だって、あれは……、あれは……! 私の目に映ったのは観覧車。 かなり大型の観覧車。 見た事はあるし、乗った事もある。 そして、見覚えのある街並み……。 日本の建物とは異なる特徴的な建築方式の……。 「ロン……ドン……?」 私は誰に聞かせるでもなく呟いた。 そうだ。 ここはロンドンだ。 ジャパンエキスポだかジャパンフェスティバルだか忘れたけど、 とにかく私達がライブをやった広場の近くにある公園だ。 見覚えのある場所だった事は助かる。 ここが何処だって戸惑う必要も無くなる。 だけど、それが何だってんだ! 分かったから、何だってんだよ! 仲間を……、友達を三人も見失って、何を考えろってんだよ! どうしろってんだよ! 「何だよ……。 何だってんだよッ!」 喉が痛くなるほどに叫んだ。 何度だって叫んだ。 でも、純ちゃんも憂ちゃんも和も返事をしてくれる事は無かったし、姿も見当たらなかった。 残された梓達も私の言葉に反応してくれる事は無かった。 八人でなら生きていけると思い掛けてたこの世界……。 やっとの事でそう思えるようになって、 前を向いて生きていけるはずだったのに、 こうして私達は、掛け替えのない仲間と、希望を失った。 ようやく理解した。 ここは絶望に満ち溢れた世界。 私達からありとあらゆるものを 奪い去って 最終的に心まで奪い去って 逃げ出そうとしたって 確実に追い詰めて絶望させる 閉ざされた 世界だ。 ◎ どれくらい時間が経ったんだろう。 五分? 十分? それとももっとか? 緩く肌寒い風に吹かれ、私は長い間呆然としてた。 今起こった現実を受け止められるほど、私は打たれ強くない。 現実……? 現実なのか、これ? 夢じゃなくて? いや、そんなのどっちでもいい。 これが例え夢だろうと、ずっと覚めなきゃ現実と同じだ。 「律」 私の名前を呼ぶ声がする。 誰の声だっけ? 聞き慣れた声のはずなのに、一瞬、私は誰の声なのか思い出せなかった。 「おい、律!」 もう一度大きな声で呼ばれ、やっと気付く。 私の名前を呼んでたのが澪だったって事に。 そりゃそうだ。 この残されたメンバーの中で私の事を『律』って呼ぶのは澪しか居ない。 分かり切ってた事なのに、何故だかすぐには分からなかった。 こんな現実を認めたくなかったからかもしれない。 認めたくないよ、こんな現実。 でも、認めたくなくたって、やっぱり現実は現実なんだろう。 夢だとしたって、この誰かの夢が覚める気配は、一ヶ月近く全然無い。 だったら、私はこの誰かの夢の中でやれる事をやるしかない。 深呼吸。 気を抜けば涙を流しそうになってる気分に気付きながら、 それでも私はどうにか澪に言ってやった。震えながらも、言ってやった。 「……分かってるって、澪」 そうだ。 分かってる。 こんな所で呆然としてても、何も進展しないのは分かり切ってる。 元だけど私は部長なんだ。 軽音部のリーダーなんだ。 だったら……、皆を引っ張らなきゃいけないじゃないか。 私はまず澪に視線を向ける。 澪はその場に崩れ落ちるムギの肩に手を置きながら、私を見つめてた。 声こそ強がってはいたけど、澪のその表情は泣き出す寸前みたいに見えた。 澪とは長い付き合いなんだ。 澪が泣き出す寸前の表情くらいよく知ってる。 私がそれを知ってるって事は、澪も私が泣き出す寸前の表情を知ってるって事でもある。 二人して泣き出しそうになりながら、でも、何とか泣き出さずに立ってやる。 失くしたくないから……。 これ以上、失くしたくないからだ。 これ以上、失くさないためには……。 次に崩れ落ちてるムギに視線を向けてみる。 ムギの表情を見たかったからだけど、それは出来なかった。 ムギが両手で顔を押さえ、ずっと震え続けてたからだ。 怖いんだろう、と思う。 世界がこんな事になっちゃって、一番怯えてるのは多分ムギだ。 私が肘をちょっとだけ怪我した時の事を思い出す。 あの時、ムギは大袈裟なくらい私の怪我を心配してた。 それは嬉しいんだけど、やっぱりその理由はムギが誰より不安だったからだと思う。 私の中の誰かを失う事を……。 私だって失いたくなかった。 誰一人、失いたくなかった。 でも、ムギはきっと私なんかよりずっと誰かを失う事が怖かったんだ。 だから、大声で泣き出しちゃってるんだ。 三年の学祭ライブの後、もう学校でライブが出来ない事を誰よりも悲しんでたみたいに。 失う事の辛さを知ってるから……。 その隣では唯が忙しなく周囲を見回していた。 唯の判断力では、今何が起こったのかを理解し切れてないんだろう。 口元に手を当てて、全身を震わせてるようにも見える。 特に唯は自分の保護者みたいな和と憂ちゃんを同時に失ってしまったんだ。 世界から私達以外の生き物が消えた時はともかくとして、 和、憂ちゃん、純ちゃんの姿が消えて一番動揺してるのは唯に違いない。 多分、一番大切な人達を同時に失っちゃったんだから……。 勿論、私だって唯の事は言えた義理じゃない。 私だって震えてる。 泣き出しそうになりながら、怯えながら、どうにか立ってるだけだ。 立っていられるのは、私の二の腕にあいつの手の感触を感じられてるからだ。 小さくて真面目で気難しい、軽音部の現部長……、梓の手の感触を。 軽く梓の表情を覗き込んでみる。 意外だった。 梓は震えてなくて、泣き出してもいなかった。 私も含めて残された五人の中で、一番毅然とした表情をしてると思う。 凄いな、と思った。 梓と離れてた四ヶ月、梓に何があったのかは分からない。 世界がこんな事になって、予想外に梓の近くに居られる事になったけど、 梓がこんなに強い表情が出来る理由までは分からなかった。 そもそも梓って自分の事を進んで話すタイプじゃないしな。 部長としての責任が梓を成長させたんだろうか。 だったら、やっぱり凄い。 私は三年間部長をやって来たけど、 それで自分が成長出来たのかと聞かれると、何とも答えにくい。 少しは成長出来たはずだと思う。 でも、梓くらい成長出来たとは思えない。 成長……しなきゃいけないんだよな、私も。 現部長が毅然としてるんだ。元部長だってやれる限りの事はやってやらなきゃいけない。 もうこれ以上、誰かを失うわけにはいかないんだ。 私は拳を握り締めて、震える心と身体をどうにか押し留める。 カチューシャを一度外して、前髪を下ろしてから、もう一度カチューシャを付け直す。 前に進んでいくために、力を入れ直すために。 「唯! 澪! ムギ! 梓!」 精一杯の大声を出して、その場の皆に私の声を届ける。 単なる空元気だってのは分かってる。 だけど、空元気でも出さなきゃ、多分、これからもっとひどい事になる。 それは嫌だ。絶対に嫌だ。嫌に決まってる。 だから、私は言ってやるんだ。 言わなきゃいけないんだ。 皆に嫌われる事になったっていい。 それでも、今はやらなきゃいけない事があるんだから。 「行くぞ!」 「行く……って、何処に……?」 呆然としたまま唯が私に訊ねる。 いや、その呆然とした表情の中に、不安の色が強まったようにも見える。 きっと私が何を言おうとしてるのか分かったんだろう。 それを認めたくないんだろう。 でも、私は、唯、おまえまで失いたくないから……。 「おまえも分かってるだろ、唯? おまえだって、皆だって、ここには見覚えがあるよな? そうだよ、皆で卒業旅行に来たロンドンだ。 ライブやった広場だ。 一度しか来てないわけだし、 確実な証拠があるってわけじゃないけど、多分……な」 「私だってここがロンドンだって事くらいは分かるよ、りっちゃん……。 でも……、でも……、何なの……? 何処に行くつもりなの……?」 唯がどんどん不安を増した声色になりながら続ける。 私だって唯を傷付ける事は言いたくない。 けど、このままでいいわけがないんだ。 このままじゃ共倒れなんだ。 だから、私は一番言いにくかった事を、わざと大声で言ってやった。 「ホテルだ! 何が起こったのかも、今、どうなってるのかも、分からないだろ? だから、卒業旅行の時に泊まったホテルに行くぞ! 何をするにしたって休める所が無いと何も出来ないからな!」 自分でも酷い事を言ってる自覚はある。 大切な人を失ったばかりの唯にこんな事を言うなんて、酷いにも程がある。 私の言葉を聞いた唯は泣き出しそうな表情になって……、 いや、一筋の涙をこぼしながら、絞り出すみたいに呟いた。 「私、やだよ……、りっちゃん……。 だって……、だって憂が……、和ちゃんが……、純ちゃんも……。 居なくなっちゃって……、すぐ傍に居たはずなのに……、 皆みたいに風と一緒にどこかに行っちゃって……! 捜そうよ……、きっと近くに居るはずだよ……? 憂達なら近くに居るはず……だよ……? 憂達を置いてくなんて……、そんなの……やだよお……!」 唯の言いたい事は痛いくらい分かってた。 ほとんど無い可能性だけど、ひょっとすると憂ちゃん達も私達の傍に居るのかもしれない。 あの風の操作ミスかなんかで、この広場から少しだけ離れた場所に飛ばされてるのかもしれない。 そうだとしたら、どれだけいいだろう。 でも、きっとそんな可能性は無いだろう。 ロンドンに飛ばされる前、生き物が消えた時も私達は散々他の皆を探した。 一ヶ月近く、隅々まで探し続けた。 だけど、誰一人として見つからなかった。 生き物が消えた後に誰かが生活してた痕跡すら見つからなかった。 つまり……、きっと……、憂ちゃん達はどうやったって見つからない。 そんな気がする。 百歩譲って憂ちゃん達を探す事にするとしても、今だけは駄目だ。 こんな状態で誰かを探したって余計に消耗するだけだし、それこそ二次災害に繋がるじゃないか。 だから、まずは休める所を探し出すべきなんだ。 唯もそれには気付いてるはずだ。 認めたくないだけで。 私だって認めたくないけど、 部長として、それはやっちゃいけない事なんだ。 「頼むよ、唯……。 分かってくれとは言わないけど、今だけは私の言う事を聞いてくれ……。 憂ちゃん達は後で探そう。どこに居たって探し出そう。 でも、今だけは駄目なんだよ。 探すにしたって、情報が全然足りないのに闇雲に探し回しても……」 「でも……! でも、憂なんだよ、りっちゃん!」 唯が全く理屈の通ってない言葉を叫んだ。 無茶苦茶だ。 憂ちゃんだからって何だってんだ。 でも、唯の言いたい事は分かる。 唯は憂ちゃんとずっと一緒に居た。 離れて住むようになっても、心は傍にあった。 きっと唯が寂しい時には、丁度憂ちゃんから連絡があったりもしたんだろう。 それくらい繋がり合ってる姉妹だったんだ。 世界がこんな事になったって、一緒に居てくれる。そんな気もしてくる。 でも、それはきっと無理だ。 憂ちゃんだって万能じゃない。何でも出来るってわけじゃない。 完璧に見える子だけど、この一ヶ月傍に居て、色んな事に気付いた。 ちょっとした弱点も持ってる子で、そこが魅力的な子なんだって。 私だって、憂ちゃん達を置いていきたくなんかない。 だけど……、同時に気付いちゃったんだ。 私達だけが特別じゃなかったんだって。 私はついさっきまでこの八人が特別だから、誰かに選ばれたんだって思ってた。 八人で他に誰も居ない世界で生きていくように誰かに選ばれたんだって思ってた。 でも、それは違ったんだ。 憂ちゃん達が居なくなって、五人取り残されて気付けたんだ。 次に誰が消えるか分からないって……。 この五人も、いつまで一緒に居られるか分からないんだって……。 それこそ、風の気まぐれで、次に消されるのは私の方かもしれないんだ……。 だから、私は選んだ。 まずは五人が無事で居られる可能性が高い選択肢を。 それしか選べなかった。 そうしなきゃ、体の震えで動き出せなくなっちゃいそうだった。 今だって、梓の手の感触を感じてるから、 梓に支えられてるから、どうにか立ってられるだけなんだ。 失くした物に目を向けてる余裕なんて持てなかった。 最低だって思うけど、最悪だって思うけど、 残された物に目を向けなきゃ、そうでもしなきゃ、私は、私は……! 33
https://w.atwiki.jp/kaizoukordosaito/pages/34.html
マジコン使用者について マジコン (R4やDSTT、M3シリーズなど) をお使いの方は PARのコードを使用してください。 コードの追加方法については検索してください。
https://w.atwiki.jp/touhoukashi/pages/4258.html
【登録タグ Silver Forest さゆり と 曲 東方秘封魔術 車椅子の未来宇宙】 【注意】 現在、このページはJavaScriptの利用が一時制限されています。この表示状態ではトラック情報が正しく表示されません。 この問題は、以下のいずれかが原因となっています。 ページがAMP表示となっている ウィキ内検索からページを表示している これを解決するには、こちらをクリックし、ページを通常表示にしてください。 /** General styling **/ @font-face { font-family Noto Sans JP ; font-display swap; font-style normal; font-weight 350; src url(https //img.atwikiimg.com/www31.atwiki.jp/touhoukashi/attach/2972/10/NotoSansCJKjp-DemiLight.woff2) format( woff2 ), url(https //img.atwikiimg.com/www31.atwiki.jp/touhoukashi/attach/2972/9/NotoSansCJKjp-DemiLight.woff) format( woff ), url(https //img.atwikiimg.com/www31.atwiki.jp/touhoukashi/attach/2972/8/NotoSansCJKjp-DemiLight.ttf) format( truetype ); } @font-face { font-family Noto Sans JP ; font-display swap; font-style normal; font-weight bold; src url(https //img.atwikiimg.com/www31.atwiki.jp/touhoukashi/attach/2972/13/NotoSansCJKjp-Medium.woff2) format( woff2 ), url(https //img.atwikiimg.com/www31.atwiki.jp/touhoukashi/attach/2972/12/NotoSansCJKjp-Medium.woff) format( woff ), url(https //img.atwikiimg.com/www31.atwiki.jp/touhoukashi/attach/2972/11/NotoSansCJKjp-Medium.ttf) format( truetype ); } rt { font-family Arial, Verdana, Helvetica, sans-serif; } /** Main table styling **/ #trackinfo, #lyrics { font-family Noto Sans JP , sans-serif; font-weight 350; } .track_number { font-family Rockwell; font-weight bold; } .track_number after { content . ; } #track_args, .amp_text { display none; } #trackinfo { position relative; float right; margin 0 0 1em 1em; padding 0.3em; width 320px; border-collapse separate; border-radius 5px; border-spacing 0; background-color #F9F9F9; font-size 90%; line-height 1.4em; } #trackinfo th { white-space nowrap; } #trackinfo th, #trackinfo td { border none !important; } #trackinfo thead th { background-color #D8D8D8; box-shadow 0 -3px #F9F9F9 inset; padding 4px 2.5em 7px; white-space normal; font-size 120%; text-align center; } .trackrow { background-color #F0F0F0; box-shadow 0 2px #F9F9F9 inset, 0 -2px #F9F9F9 inset; } #trackinfo td ul { margin 0; padding 0; list-style none; } #trackinfo li { line-height 16px; } #trackinfo li nth-of-type(n+2) { margin-top 6px; } #trackinfo dl { margin 0; } #trackinfo dt { font-size small; font-weight bold; } #trackinfo dd { margin-left 1.2em; } #trackinfo dd + dt { margin-top .5em; } #trackinfo_help { position absolute; top 3px; right 8px; font-size 80%; } /** Media styling **/ #trackinfo .media th { background-color #D8D8D8; padding 4px 0; font-size 95%; text-align center; } .media td { padding 0 2px; } .media iframe nth-of-type(n+2) { margin-top 0.3em; } .youtube + .nicovideo, .youtube + .soundcloud, .nicovideo + .soundcloud { margin-top 0.75em; } .media_section { display flex; align-items center; text-align center; } .media_section before, .media_section after { display block; flex-grow 1; content ; height 1px; } .media_section before { margin-right 0.5em; background linear-gradient(-90deg, #888, transparent); } .media_section after { margin-left 0.5em; background linear-gradient(90deg, #888, transparent); } .media_notice { color firebrick; font-size 77.5%; } /** Around track styling **/ .next-track { float right; } /** Infomation styling **/ #trackinfo .info_header th { padding .3em .5em; background-color #D8D8D8; font-size 95%; } #trackinfo .infomation_show_btn_wrapper { float right; font-size 12px; user-select none; } #trackinfo .infomation_show_btn { cursor pointer; } #trackinfo .info_content td { padding 0 0 0 5px; height 0; transition .3s; } #trackinfo .info_content ul { padding 0; margin 0; max-height 0; list-style initial; transition .3s; } #trackinfo .info_content li { opacity 0; visibility hidden; margin 0 0 0 1.5em; transition .3s, opacity .2s; } #trackinfo .info_content.infomation_show td { padding 5px; height 100%; } #trackinfo .info_content.infomation_show ul { padding 5px 0; max-height 50em; } #trackinfo .info_content.infomation_show li { opacity 1; visibility visible; } #trackinfo .info_content.infomation_show li nth-of-type(n+2) { margin-top 10px; } /** Lyrics styling **/ #lyrics { font-size 1.06em; line-height 1.6em; } .not_in_card, .inaudible { display inline; position relative; } .not_in_card { border-bottom dashed 1px #D0D0D0; } .tooltip { display flex; visibility hidden; position absolute; top -42.5px; left 0; width 275px; min-height 20px; max-height 100px; padding 10px; border-radius 5px; background-color #555; align-items center; color #FFF; font-size 85%; line-height 20px; text-align center; white-space nowrap; opacity 0; transition 0.7s; -webkit-user-select none; -moz-user-select none; -ms-user-select none; user-select none; } .inaudible .tooltip { top -68.5px; } span hover + .tooltip { visibility visible; top -47.5px; opacity 0.8; transition 0.3s; } .inaudible span hover + .tooltip { top -73.5px; } .not_in_card span.hide { top -42.5px; opacity 0; transition 0.7s; } .inaudible .img { display inline-block; width 3.45em; height 1.25em; margin-right 4px; margin-bottom -3.5px; margin-left 4px; background-image url(https //img.atwikiimg.com/www31.atwiki.jp/touhoukashi/attach/2971/7/Inaudible.png); background-size contain; background-repeat no-repeat; } .not_in_card after, .inaudible .img after { content ; visibility hidden; position absolute; top -8.5px; left 42.5%; border-width 5px; border-style solid; border-color #555 transparent transparent transparent; opacity 0; transition 0.7s; } .not_in_card hover after, .inaudible .img hover after { content ; visibility visible; top -13.5px; left 42.5%; opacity 0.8; transition 0.3s; } .not_in_card after { top -2.5px; left 50%; } .not_in_card hover after { top -7.5px; left 50%; } .not_in_card.hide after { visibility hidden; top -2.5px; opacity 0; transition 0.7s; } /** For mobile device styling **/ .uk-overflow-container { display inline; } #trackinfo.mobile { display table; float none; width 100%; margin auto; margin-bottom 1em; } #trackinfo.mobile th { text-transform none; } #trackinfo.mobile tbody tr not(.media) th { text-align left; background-color unset; } #trackinfo.mobile td { white-space normal; } document.addEventListener( DOMContentLoaded , function() { use strict ; const headers = { title アルバム別曲名 , album アルバム , circle サークル , vocal Vocal , lyric Lyric , chorus Chorus , narrator Narration , rap Rap , voice Voice , whistle Whistle (口笛) , translate Translation (翻訳) , arrange Arrange , artist Artist , bass Bass , cajon Cajon (カホン) , drum Drum , guitar Guitar , keyboard Keyboard , mc MC , mix Mix , piano Piano , sax Sax , strings Strings , synthesizer Synthesizer , trumpet Trumpet , violin Violin , original 原曲 , image_song イメージ曲 }; const rPagename = /(?=^|.*
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18245.html
迷いの無い笑顔。 大好きなお姉ちゃんを独り占めになんかしない微笑み。 その微笑みを見て、唯も決心出来たらしい。 唯はすぐにリュックサックを下ろすと、一瞬だけ憂ちゃんに抱き着いた。 その耳元で囁く。 「今日の夜……! 今日の夜、一緒にお風呂に入ろうね! 私、憂と色々話したい事があるんだ……! だから、今はちょっとだけ、またね……!」 瞬間、私は見逃さなかった。 唯に抱き着かれた憂ちゃんのその手が唯の背中を抱き留めようとして……、 でも、遂にはその手が唯の背中に回らず、唯の肩にだけに軽く置かれたのを。 憂ちゃんにも躊躇いはあるのかもしれない。 だけど、憂ちゃんは笑顔を崩さなかった。 「うん! 今日は一緒にお風呂に入ろうね、お姉ちゃん! いってらっしゃい……!」 「うん! 絶対だよ……! 絶対だからね……! りっちゃんも純ちゃんもまたね! いってきます!」 言って、唯は走り出した。 唯のスピードだからそんなに速くなかったけど、 出来る限りの全速力で澪とムギの所に向かってるんだろう。 すぐにその姿は校舎に吸い込まれていった。 軽く憂ちゃんに視線を向けてみる。 思った通り、唯が居なくなった後の憂ちゃんの表情は寂しそうだった。 やっぱり、少しだけ無理をしてるんだろう。 私が何か声を掛けようとした瞬間、それより先に純ちゃんが憂ちゃんに訊ねていた。 「本当によかったの? 何だったら、今日の私達の練習は早めに切り上げてもいいんだよ?」 そう訊ねる純ちゃんの表情も辛そうだった。 親友が寂しそうな表情を浮かべているのが辛いんだろう。 私だって、憂ちゃんが寂しそうにしてるのは辛い。 だけど、憂ちゃんはゆっくり首を振ると、また穏やかに微笑んだ。 寂しそうだったけど、安心出来る笑顔だった。 「ううん、駄目だよ、純ちゃん。 練習はちゃんとしなきゃいけないよ。 いいライブ、お姉ちゃん達に見せてあげたいし……。 それにね……、これは私が選んだ事なんだもん」 「憂の選んだ事……?」 「うん。 私ね……、純ちゃんには言ってなかったけど、一人で決めてた事があるんだ。 ううん、誰にも話してなかった事があるの……。 いい機会ですし、律さんも私の話を聞いて下さいませんか?」 まっすぐな視線を憂ちゃんが私に向ける。 私はリュックサックを下ろし、頷いてから憂ちゃん達を木陰に誘った。 この熱気の中、暑さに参りながら聞くような話でもないはずだ。 純ちゃんも一緒に、大きな木の陰に三人で腰を下ろす。 木に背を預け、緩い風に揺れる葉っぱの音が聞こえる。 小鳥の声や蝉の鳴き声なんかは聞こえないけど、いい雰囲気だ。 気持ちのいい昼下がり……って言えるのかな? 憂ちゃんが優しい笑顔を浮かべて、話を続ける。 「私、皆の姿が見えなくなっちゃって、 律さんや和ちゃんとほうかごガールズを組む前から、ずっと思ってた事があるんです。 お姉ちゃんが大学に入って、傍で暮らさないようになって、寂しかった……。 すっごく寂しかったけど……。 でも……。 寂しかったからこそ、出来る事があるって思ったんです。 寂しかったからこそ、やりたい事があったんです」 「やりたい事……って、ライブ……だよね?」 純ちゃんが首を傾げて、憂ちゃんに訊ねる。 憂ちゃんは少しだけ純ちゃんに視線を向けて、軽く頷いた。 「うん、そうだよ、純ちゃん……。 純ちゃんは知ってる事なんですけど、律先輩、聞いて下さい。 私……、お姉ちゃんと離れて暮らすようになって、ちょっと荒れてた時期があったんです……」 憂ちゃんが荒れてた……? どんな事になってたんだ……? 凄く難しかったけど、頑張って想像してみる。 結構経ってどうにか想像出来たのは、パーマを掛けて長いスカートを履いた憂ちゃんの姿だった。 スケ番憂ちゃん! ……って、我ながら発想が古いな……。 そうやって、私が変な顔をしてた事に気付いたんだろう。 純ちゃんが苦笑しながら、私に説明するみたいに言ってくれた。 「荒れてたは言い過ぎでしょ、憂? 私が差し入れしたドーナツのスーパーオールスターパックを全部食べちゃったくらいじゃん。 まあ、私がそれ全部食べていいって言ったんだけどさ。 でも、まさか、本当に全部食べちゃうなんてね……」 「うん……、私もあんなに食べられるとは思わなかったよ。 あの時はごめんね、純ちゃん……」 「いいのいいの、終わった事でしょ? 気にしない、気にしない」 言いながら、純ちゃんが憂ちゃんの頭を撫でる。 普段梓にやってるそれとは違って、憂ちゃんを撫でる純ちゃんの手つきは優しかった。 でも、やり方こそ違うけど、梓も憂ちゃんも純ちゃんの親友って事には違いない。 しかし、憂ちゃんにとっては、それが荒れてるって事なのか……。 確かにスーパーオールスターパックを全部食べるなんてただ事じゃないけどさ。 前に皆で食べたけど、あれ、かなり量あるよな……。 それだけ憂ちゃんの喪失感が深かったって事なんだろうな。 大学に入学するまで、唯も憂ちゃんもそれを気にしないようにしてたみたいだけど、 現実にそうなっちゃうとやっぱり寂しかったんだろう。 私だって聡と離れるのは結構寂しかったもんな。 そういや、唯の奴も一時期はかなり荒れてたな。 一回、ムギが用意した二日分のお菓子を一人で全部食べちゃった事があった。 その量、実にケーキ二ホール。 逆に凄いから、怒る気にもなれなかったよな、あの時は……。 ともあれ、姉妹揃って同じ荒れ方をしてたってわけだ。 荒れてた……ってのとは、多大に違ってる気がしないでもないが。 「そんな風に、私、お姉ちゃんが居なくなって寂しかったんですけど……、 純ちゃんや梓ちゃんが励ましてくれたおかげで、何とか元気になれたんです」 憂ちゃんが遠い目をしながら続ける。 梓や純ちゃんにしてもらった事を思い出してるんだろう。 その表情は優しく、嬉しそうだった。 「そっか……」 私は呟きながら頷く。 何にでも完璧に見える憂ちゃんにだって弱点はある。 失敗しちゃう事もあるし、悩んじゃう事だってあるんだ。 そういう所もある子なんだよな……。 憂ちゃんと同じバンドでセッションしながら、気付いた事がある。 憂ちゃんの演奏はほとんど完璧だ。 演奏歴が短いなんて思えないくらい、凄い速度で成長してるのが分かる。 合わせていて、安心も出来る。 でも、私にはちょっと物足りなかった。 憂ちゃんの演奏は完璧なんだけど、教科書通り過ぎた。 揺らぎが無い完璧で均一的な演奏なんだ。 勿論、それは欠点じゃない。 むしろ憂ちゃんの方がミュージシャンとしては正しいと思う。 だけど、長く唯と組んでた私にとっては、それが物足りない。 唯はよく失敗するし、難しいパートを弾けたと思ったら、簡単なパートで躓いたりもする。 唯とのセッションじゃ、一度として同じ演奏を出来た覚えが無いくらいだ。 でも、私にはそれがよかった。 唯の失敗は確かに多いけど、予想以上の大成功になっちゃう事も何度もあったからだ。 不思議な話なんだけど、唯とのセッションの方がワクワク出来るんだよな。 あいつは何をやってくれるか分からない面白さがある。 そこがあいつの魅力なんだ。 もしも私達の中の誰かがミュージシャンになれたとして、大成出来る可能性が一番あるのはあいつだろう。 あいつには揺らぎ……、可能性が沢山残されてる。 完成されてない魅力って言うのかな。 私がミュージシャンになれる可能性はほとんど無いと思う。 趣味としては続けるだろうし、 ライブとか音楽的な活動はするかもしれないけど、 商業的なレベルの世界で長く生き残るのは無理じゃないかな。 悔しいけれど、私にはそこまでの実力は無い。 いつかは皆揃ってライブする事も出来なくなるかもしれない。 でも……、唯には、羽ばたいてほしい。 あいつには才能があるし、私達の誰よりも音楽への愛がある。 あいつなら商業的にも成功出来るはずだ。 いつかはきっと、私達を置いて音楽の世界に羽ばたいていけるだろう。 その時まで、あいつの足を引っ張らなくないで済むように、私は精一杯あいつを支えたい。 結局、私は唯のギターが凄く好きなんだよな……。 憂ちゃんも私と同じような事を考えてるはずだ。 唯の事にしてもそうだし、私とのセッションの違和感に気付いてなくもないだろう。 菫ちゃんのドラムを聴いた事は無いけど、ドラムのセッティングを見る限り、かなり几帳面っぽい気がする。 きっと憂ちゃんの完璧な演奏に合わせた、正確なドラミングを刻んでるはずだ。 純ちゃんも生き残りの厳しいジャズ研で演奏してただけあって、意外にもその演奏は堅実だ。 そして、梓もアドリブより積み重ねた努力で魅せるタイプのギタリストなんだよな。 そう考えてみると、わかばガールズは技巧派集団ってやつか。 結構適当に活動してた放課後ティータイムの後を継ぐ者とは思えんな……。 タイプは全然違うけど、どっちが優れてるって話じゃない。 要はどっちが自分の性に合うかってだけの話だ。 結局、私の居場所は放課後ティータイムで、 憂ちゃんの居場所はわかばガールズだったんだって事だろう。 急ごしらえのほうかごガールズじゃ、どうしてもその演奏に違和感は生じて来る。 勝手の違いは仕方が無い。 だけど……。 「だけど……」 憂ちゃんの言葉と私の考えが重なった。 ひとまず私は憂ちゃんの言葉に耳を傾ける事にした。 多分、憂ちゃんも私と同じ気持ちなんだろうから。 憂ちゃんは続ける。 「お姉ちゃんと離れて、寂しくて、辛くて……、 お姉ちゃんの事ばっかり考えてて、ある日に私、気付いたんですよ、律さん。 この寂しさも、辛さも、私がお姉ちゃんの事が好きだから感じてる事なんだって。 心と胸が痛いけど、それもお姉ちゃんと離れたから、感じられた事なんだって。 そう思えたら、何だか私の寂しさをそのままにしておくのが勿体無く思えたんです。 この寂しい気持ちは、そのままお姉ちゃんの事が好きだって証拠なんですから。 お姉ちゃんが傍に居ないからこそ、 私にとってお姉ちゃんが本当に大切な人なんだって気付けましたから……。 そんな私だからこそ出来る演奏を、お姉ちゃんに聴いてもらいたいんです。 寂しさや、辛さや……、そんな事を感じられた私だから出来る演奏を……。 それが……、私のやりたい事なんです」 憂ちゃんの決心がこもったその言葉は私の胸に強く響いた。 憂ちゃんはそれだけの決心でライブに臨んでたんだ。 今だからこそ出来るライブをやるために。 寂しさや辛さや切なさを、強さに出来る子なんだ、憂ちゃんは。 この閉ざされた世界の中でも……。 私は微笑んで、感心の溜息を吐きながら言った。 「憂ちゃんは凄いな……。 こんな時でも笑顔で、唯の事を考えて動けてて、凄いよ。 なあ、純ちゃん、憂ちゃん……、 こんな事訊くのも変だけど、正直に言ってくれないか? 演奏しててさ、セッションに違和感……あるよな?」 「そんな事……」 気遣いから否定しようとして、慌てて憂ちゃんが言葉を止める。 私が真剣な視線を向けてる事に気付いたんだろう。 憂ちゃんも真剣な表情になって、私の言葉に応じてくれた。 「はい……、違和感……あります。 やっぱり、わかばガールズとは違うなって思います……。 律さんと和ちゃんの演奏が嫌いなわけじゃないんです! 二人の演奏、大好きです! でも、何かが違ってる気がして……」 「私も感じます、律先輩」 憂ちゃんの言葉に純ちゃんが続いた。 その純ちゃんの表情は真剣だったけど、口の端では微笑んでいた。 「やっぱり違和感ありますよ。 そんなの当然じゃないですか、元々のお互いのバンドが違うんですから! 方向性もメンバーも違いますし、何か違うなって思う事が結構あります。 スミーレならここはこう演奏してるだろうなって、そう考えた事だって……。 でもですね……」 「うん……。でも……」 純ちゃんと憂ちゃんが視線を合わせる。 二人して微笑んで、私に優しい表情を向ける。 そこから先は後輩に言わせる事でもないだろう。 私は深呼吸して、二人の肩を抱き寄せて言った。 二人とも温かった。 「そうだな……。 ほうかごガールズじゃ、どうやっても放課後ティータイムやわかばガールズみたいな演奏は出来ない。 所々ちぐはぐな演奏になっちゃうだろうな……。 でもさ……、同じようにほうかごガールズでしか出来ない演奏もあるはずだよ。 こんな事になって、この世界には八人しか残ってないって無茶苦茶な状況になって、 だけど……、そんな今だからこそ、出来る演奏があるはずなんだ。 あってほしいよね……」 私にしては恥ずかし過ぎる言葉だったかもしれない。 だけど、憂ちゃん達は私の腕の中で頷いてくれた。 「ありますよ、絶対! 澪先輩達に聴かせちゃいましょうよ! 私達だけに出来るカッコいい演奏!」 純ちゃんがモコモコを揺らしながら、興奮した感じで宣言する。 マイペースで、元気で、可愛らしい。 純ちゃんが傍に居てくれれば、梓はこれからも退屈する暇もなく元気に過ごせる事だろう。 「出来る……と思います! だから、お姉ちゃんと離れてたからこそ出来る演奏のために、 寂しいですけど……、ちょっと辛いですけど……、 もう少しだけお姉ちゃんとは距離を置きたいって思ってます。 寂しかった頃の気持ちも忘れたくありませんから……。 でも、ライブが終わったら……、 終わったら、その時は……」 憂ちゃんが私の腕の中でちょっと身体を震わせる。 全身を支配する寂しさに耐えてるんだろう。 私は手を動かして、憂ちゃんの柔らかい髪をゆっくり撫でた。 「うん。 ライブが終わったら思いっきり唯に甘えちゃいなよ。 唯も寂しがってたしさ、姉妹水入らずで思いっきり甘えちゃえ。 あいつ、きっと喜ぶからさ」 私が言うと、「はいっ!」って返事をした憂ちゃんが、私の背中に手を回して抱き着いた。 抱き着かれる寸前に見た憂ちゃんの潤んだ瞳と赤い頬はすっごく可愛らしかった。 畜生、可愛いなあ……。 私は憂ちゃんのあまりの可愛さに、自分の顔が熱くなっていくのを感じる。 どうやら私のその様子を見られていたらしい。 純ちゃんが猫みたいに悪戯っぽい表情を浮かべて、意地悪く私に訊ねた。 「お、律先輩、照れてますね?」 「て、照れてねーよ……」 「あらまあ、りっちゃんったら可愛い!」 純ちゃんに急にりっちゃんと呼ばれ、思わず咽た。 自分で言った事ながら、急に呼ばれると恥ずかしい。 私は腕の中の純ちゃんを解放してから、軽く腕を頭上に掲げた。 「りっちゃんって言うなー!」 「りっちゃんがりっちゃんって呼んでいいって言ったんじゃないですか。 今更、撤回は無しですよー、りっちゃん!」 「それはそうなんだが……、うーっと……、えーっと……。 それよりほら! 梓と和はどうしたんだ? 音楽室で練習でもやってるのか?」 「お、誤魔化しましたね、律先輩。 まあ、今回だけは許してあげましょう。 梓は音楽室で和先輩とボイストレーニングしてますよ。 ピアノでボイストレーニングってやっぱり基本じゃないですか。 私が言うのも何ですけど、梓、前よりずっと上手くなったと思いますよ! そりゃ……、感動的なほど上手ってわけじゃないですけど、でも……」 純ちゃんが一瞬だけ不安そうな表情を見せる。 何だかんだ言って、やっぱり梓の事が心配なんだろう。 純ちゃんのモコモコを触ってから、今度は私が笑ってやった。 「分かってるよ。 梓が歌が苦手なのも分かってる。 でも、その梓がボーカルに挑戦してくれるって事が、やっぱ嬉しいよ。 ライブの時にさ、純もコーラスで梓を支えてやってくれよな」 「勿論です! ……って、今、私の事、『純』って呼びました?」 「ふっふっふ、どうだったかなー?」 「あ、純ちゃんいいなー。私も呼び捨てで呼んでもらいたいよー」 憂ちゃんが私から離れず、羨ましそうな表情を私に向けた。 どうもおねだりされてるみたいだったけど、憂ちゃん相手にはまだちょっと照れる。 今はりっちゃんって呼ばれたお返しに勢いで『純』って呼べたけど、 その勢いのままで『憂』って呼ぶのは無理だった。 でも、まあ、そのうちだな。 この調子なら、ライブの頃には二人を呼び捨てで呼ぶ事も出来そうな気がする。 その時の梓の反応を想像すると、何だか楽しくなって来る。 梓の奴、どんな反応するかな? 梓の事だから、きっと表面上は気にしてない振りをしながら、 私の目の届かない所で純ちゃんと憂ちゃんにあれこれ詮索する事だろう。 「律先輩に弱味でも握られたの?」って訊ねたりしそうだな。 いやいや、失敬な! あいつは私の事を何だと思ってるんだ……。 まあ、ともかく、もうすぐライブだな。 今の私達だからこそ出来るライブをやってやる。 その先に何が待ってたって、私達はほうかごガールズのライブをやってやるんだ。 この世界で八人で生きていくのか、 それとも元の世界に戻る方法を探し続けてやるのか。 ライブの後でなら、逃げずに皆と真正面から話し合えると思う。 そのためにも、ライブは絶対に成功させたい。 30
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18261.html
梓がそれ以上の言葉を躊躇う。 この世界が唯の夢だとしても、その責任を唯一人に押し付ける形にはしたくないんだろう。 でも、梓の言う事ももっともだった。 この閉ざされた世界を想像して創造してるのは、間違いなく唯だ。唯にしか出来ない。 それをどうやってるのか……。 それが分かればこの事態を変える事が出来るかもしれない。 心当たりと言えば、やっぱり唯の頭の怪我の事だ。 唯は目を覚まさないほどの大怪我を頭に負った。 それが唯に何らかの変化を与えたって事は無いだろうか? でないと、こんな事が起こるはずもない。 私がそれを口にすると、澪が口元に手を当てて小さく独り言みたいに呟いた。 「サヴァン……?」 「……何だ、それ?」 そう私が訊ねても、澪はそれ以上何も答えてくれなかった。 いや、独り言みたいだったんじゃなくて、本当に独り言だったって事なんだろう。 私は口を噤み、澪も気付けば口を閉じていた。 また部屋を沈黙が包むかと思った瞬間、ムギの心配そうな声が部屋の中に響いた。 「ねえ、皆……、私、思ったんだけど……。 この世界が唯ちゃんの夢だとしたら、どうして唯ちゃんはこんなに苦しんでるのかな……? 今の私達の身体は、現実にある身体とは違うんだよね……? だったら、体調が崩れるなんて、そんな事は……」 「確かにムギの言う通りだ」 応じたのは澪だ。 とても凛々しい表情で、何かを考え始めたみたいだった。 瞬間、私の胸が激しく鼓動し始めた。 澪の凛々しい顔に見惚れたわけじゃない。 いや、多少は見惚れてたかもしれないけど、それだけじゃなかった。 澪が考えている。 真剣に、凛々しい表情で、真相に近付こうとしている。 もうすぐ答えを出すんだな、って思った。 きっと私が辿り着いたのと同じ答えを。 私はその答えを澪が出すのが怖かった。 その答えを出してしまったら、きっと澪は私を嫌いになる。 ムギも梓も私を嫌いになるだろう。 それはとても辛かったけど、自業自得でもあった。 逃げ続けた結果がこの有様だったってだけだ。 悪かったのは……、逃げ続けた私なんだ……。 私は二度深呼吸をする。 拳を握り締め、鼓動する胸を気力で抑える。 澪が何かの答えを出すより先に、私は一番言いにくかった事を言葉にした。 「なあ、皆、聞いてくれ……。 唯はさ、自分が死ねばこの夢は覚めるって、 さっきそういう感じの事を言ってたんだよ……」 「唯先輩がっ? そんな……、唯先輩が死ぬだなんてそんなの……」 梓が辛そうな声を上げる。 唯の事を心から心配してるんだろう。 それこそ、自分の事よりも……。 でも、それに対して構ってやる事は出来なかった。 私は言葉を続ける。 私にはまだまだ伝えなきゃいけない事がある。 「考えてみりゃ、その通りだよな……。 この世界は唯の夢で、唯が死ねば私達はこの世界から解放される……。 単純過ぎて笑っちゃうくらいだよ……。 簡単な……答えだよな……、馬鹿みたいに……」 「おい、律……?」 私の様子がおかしい事に気付いたのか、澪が心配そうに私に訊ねる。 私も自分自身の様子や感情がおかしい事は自分で気付いてた。 だけど、止められなかった。 止められなかったんだ、どうしても……。 自分への嫌悪感から、吐き捨てるような言葉をまた言ってしまう。 「馬鹿だよ、唯は……。 この世界が自分の夢じゃないかって気付いてさ……、 自分が私達に迷惑掛けてるんじゃないかって考えてさ……、 それで……、きっと唯は自分で自分を追い詰めたんだ。 この世界は唯の夢で、この世界の唯の身体も唯の夢だ。 そうだよ……。 唯の体調を崩せるのは唯だけなんだ。 現実の方の唯に何かあったとは考えにくい。 目こそ覚まさなかったけど、それ以外の唯の身体は健康だったはずだしな。 だから……、だから、唯は自分自身で自分の身体を追い詰めたんだよ! この……馬鹿野郎……っ……」 「馬鹿野郎……って、律先輩、それは……」 梓が悲しそうな表情で私を見つめる。 唯の事を責められたと思って悲しく思ったんだろう。 でも、違うんだよ、梓……。 私が責めたいのは唯じゃない。私自身なんだ。 唯なんかよりずっとずっと馬鹿な私の方なんだよ……。 私は続ける。 ひょっとすると、これを言うと皆に軽蔑されて、 もう顔も合わせられなくなるかもしれないけど、言わないわけにもいかなかった。 言いたかったんだ、どんなに軽蔑されたって。 皆に……、嫌われたって……。 「分かってるよ、梓。 唯は馬鹿だけど、馬鹿な奴だけど、まっすぐな奴だ。 まっすぐに私達を考えてくれる馬鹿で、いい奴だ。大好きな仲間だ。 失いたくない仲間だよ……。 馬鹿なのは……、もっと馬鹿なのは私だ……。 私なんだよ……」 「律……先輩……?」 梓が私を気遣って手を伸ばそうとする。 私はムギの肩から手を離して、梓のその手を避けた。 梓は傷付いた表情を見せたけど、でも、今の私には触れてほしくなかった。 こんな最低な奴を気遣う必要なんてないんだ……。 梓は私なんかより、皆を支えててあげてほしいんだ……。 私は壁際に寄って、背中を壁にくっ付けながらその場に座り込んだ。 もう立っていられる気力も無かった。 だけど、それでも、言葉だけはどうにか皆に届ける。 「皆、聞いてくれ……。 唯を追い詰めたのは唯自身だけど、そのきっかけを作ったのは私なんだ……。 私なんだよ……。 唯が体調を崩す前、このホテルの周辺を一人で探ってただろ? あれは私のせいなんだ……。 私のために、唯は一生懸命になってくれたんだよ……。 私なんかのために……。 逃げてばかりの私なんかのために……。 唯の奴……、きっと考えたんだ。捜しながら考えてたんだ。 自分が誰かの迷惑になってるんじゃないかって。 このままでいいのかって。 それで少しずつ自分を追い詰めて体調を崩して、 ベッドで看病されるうちに自分が頭を大怪我をした事にも、 この世界が自分の夢だって事にも気付いて、それで……。 それで……!」 叫びながら、唯の方に視線を向ける。 唯は……、赤い顔をして、低い唸り声を上げ続けている。 自分で自分を追い詰めて、自分から死に至ろうとしている。 私達のために……、死のうとしている……。 これは……、何なんだ……? 私は唯と傍に居たいと願っただけなのに、どうしてこんな事になっちゃうんだ……? 私は唯を失いたくなかった。大切な仲間を失いたくなかった。 唯達とずっと一緒で演奏して、笑っていたかった。 ずっと……、一緒に……。 その願いが間違ってたと言うんだろうか? 願っちゃ……いけなかったんだろうか……? それは分からないけど、一つだけ分かってる事がある。 私が唯を追い詰めてしまったって事だ。 私がピックを捨てたせいで、過去を捨てようとしたせいで、 私は私よりも唯を傷付けてしまったんだ。 そうして、私はまた唯を失いそうになってしまっている。 それも一度目とは違って、他の誰でもなく私のせいで……。 私の……せいで……。 嫌だ……! そんな嫌だよ……! 私が皆から嫌われるのは自業自得だけど、唯には死んでほしくない! 生きててほしい! 元の世界の事は関係無い! もう唯を失いたくないんだ! そのためには何だってしてやる! 何だって……! だけど……、私に何が出来る……? 今度こそ唯のために何かをしたいのに、それを思い付けない。 何も思い付けない。 肝心な時に……、何も出来ない……。 ちっく……しょー……。 「律……」 澪が呟きながら歩き寄って来る。 私は唯の顔から視線を逸らさなかったけど、それはよく分かった。 澪の足音が響いてるんだ。それくらいは分かる。 澪が近付いて来る。 でも、私は澪の表情を知る事は出来ない。 澪の顔に視線を向ける事が出来ない。 私は嫌われてしまっただろう。 軽蔑されてしまっただろう。 これ以上はもう皆の傍に居られないだろう。 思わず逃げ出したくなる。 でも、逃げられない。逃げたくない。 最終的には皆の傍に居られなくなってしまうとしても、 今は皆の考えや想いを私にぶつけられるべき時なんだ。 皆は私にぶつけるべきなんだ、怒りや、悲しみや、苦しみを……。 どんなに辛くたって、私はそれを受け止めなきゃいけないんだ……。 私はそれだけの事をしてしまったんだから……。 「ごめん……、皆……」 喉の奥から声をどうにか絞り出す。 私は謝らなきゃいけない。 謝りたい。 何も出来てない私。 足手纏いにしかなっていない私。 和達を見捨ててしまった私。 唯を追い詰めてしまった私。 こんな私なんだ。 謝らなきゃ……、謝る事しか……、私には……出来ない……。 「ごめん……、本当にごめん……。 足手纏いにしかなってなくて、何も出来なくて……、悪かった……。 何を言ってくれたって構わない。 どんなに責めてくれたっていい。 皆の前から居なくなれって言うなら、居なくなる。 消えるよ……。 でも、せめて唯の体調がもう少しよくなるまでは、居させてほしい……。 唯のために何でもする……。 何か……させてほしい……。 だから……っ!」 謝りながら、いつの間にか私の目の前に来ていた澪の顔に視線を向ける。 怖かったけど、視線を逸らし続けているわけにもいかなかった。 本気で謝るには、真正面から相手を見つめるしかない。 まっすぐに見つめて、謝り続けるしかないんだ。 それが私に出来る事なんだと思う。 「律……」 また澪が呟く。 私はそう呟く澪の表情を見つめて、初めて気が付いた。 澪が顔しそうな顔をしている事に。 凄く悲しそうな顔をしている事に。 私は……、また澪を傷付けてしまったのか……? 傷付けるつもりは無かった。もう傷付けたくなかった。 ただ謝りたかった。 皆に謝りたかっただけなのに……。 なのに、私はまた……? 心臓が強く鼓動し始めた事に気付く。 また……、私は間違えちゃったのか……? 瞬間、悲しそうな顔のままで澪が腕を振り上げた。 勢いよく振り上げて、拳を握り締めて……、 その拳が勢いよく私の脳天に振り下ろされる。 「……っ!」 脳天に鈍い痛みを感じて、思わず小さく呻いてしまう。 かなりの痛みを感じながら、 そういえば澪に殴られるのも久し振りだ、って、 何故かそんな間抜けな事を考えてしまっていた。 本当に久し振りに殴られた気がする。 でも、殴ってくれて構わなかった。 何度でも殴ってくれていい。 私はそれだけの事をしてしまったんだから。 皆には私を殴る権利があるんだ。 だけど……、澪がそれ以上拳骨を落とす事は無かった。 ただ悲しそうな表情で私を見つめるだけで、続く拳骨は来なかった。 澪の表情を見て、不意に気付いた。 そうだった……。 澪とは何度も喧嘩したけど、何度も殴られたけど……、 澪は本気で怒った時だけには、私を殴らないんだ。 殴らずに、怒るんだ、澪は。 私を殴るのは恥ずかしがってる時や突っ込みの時……、 そして……、私に何かを気付かせる時に殴るんだよ、澪は……。 「み……お……」 私は呆気に取られながら呟く。 澪は私に何かを気付かせようとしている。 何かを……。 それが何なのかはまだ分からない。 ただ、澪が私に大切な何かを気付かせようとしてるって事だけは分かった。 数秒くらい、沈黙が流れる。 それからやっと、澪が小さく口を開いた。 「……もういいよな?」 それだけ呟く。 澪が何を言ってるのか、 ムギも梓も分かってなかったみたいだったけど、私には分かった。 私だけには分かった。 もういい、って澪は言ったんだ。 十分苦しんだんだから、律はもう苦しまなくてもいい。 ……なんて甘っちょろい事を言ったわけじゃない。 澪はそんなに甘い奴じゃない。 『もういいよな?』ってのは、『もう甘えなくてもいいよな?』って意味なんだ。 そうだな……。 私は……、甘えていた……。 甘えていたんだ、皆に……。 私は皆に謝りたかった。皆に責められたかった。 あらゆる事に役立たずの自分を自分自身が許せなくて、 辛くて……、一人で抱えてるのが怖くて……、謝りたかったんだ。 和達を見捨ててしまった事も、唯を追い詰めてしまった事も、謝りたかった。 それで、皆に責められて罪悪感を抱く事で、逆に楽になりたかったんだよな……。 誰かに罰される事で、抱えていた物を軽く出来るって勘違いしてたんだ……。 分かるよ……。 今なら、分かる。 だから、澪は殴ってくれたんだ。 甘えていた私の甘えを果たさせてくれるために。 一発だけ……、殴ってくれたんだ……。 でも、もう甘えは許されない。 「ありがとう、澪……」 『ごめん』じゃなくて、『ありがとう』と私は口にしていた。 口に出来た。 澪に『ありがとう』なんて、どれくらいぶりに言うんだろう……。 でも、本当にありがとう、澪。 最後の最後で、本当にギリギリの崖っぷちで、私は間違えずに済んだんだ……。 私の想いを分かってくれたのか、澪は少しだけ微笑んでくれた。 「これで最後だからな? これ以上妙な事ばかり言ってると、もう二度と殴ってやらないからな? 覚悟しとけよ?」 「ああ……、十分甘えさせてもらったよ、澪……。 ありがと……な」 私が言うと、澪が私に方に手を差し出してくれた。 その手を握って、私は立ち上がる。 何とか、立ち上がる。 今度こそ。 ムギと梓の顔に視線を向けてみたけど、二人とも私と澪の間に、 どんな想いのやりとりがあったのか分かってないみたいで、 不思議そうな表情で私達の事を見つめているみたいだった。 そりゃ……、そうかもな……。 こんな短い会話で想いが分かり合えるなんて、 長い付き合いの幼馴染みにしか出来ない事だと我ながら思う。 その善し悪しは別として、今は純粋に大切な幼馴染みの澪が傍に居る事を感謝したい。 「あの……ね……?」 不思議そうな表情をしながらも、ムギが私に向けて話し始める。 私はムギにまっすぐ視線を向けて、続きの言葉を待つ。 「私……、りっちゃんの事、責めないよ……。 りっちゃんは何も出来てないって言ってたけど、そんな事無いと思うし……。 それにね……、謝るのは私の方だと思う……。 謝らないで、りっちゃん……。 前に変な事訊いちゃって、りっちゃんを迷わせちゃったのは私だから……。 だから……、ごめんね、りっ……」 「ストップ」 私はムギの言葉を止める。 前に変な事訊いたっていうのは、ムギが寂しがっていた時の事だろう。 自分がただ一人残されちゃうんじゃないかって、ムギが不安に思ってた時の事だ。 あの時、私はムギにはっきりした言葉を届けられなかった。 はっきりと伝えてあげるべきだった。 それを後悔する事は出来たけど、今は後悔よりもするべき事がある。 だから、私はムギに伝えるんだ、自分の正直な想いを。 「そこからは私に先に言わせてくれないか? 私……、甘えてたんだと思う……。 私を責めてたのは……、私自身だったんだよ……。 澪に殴られてから気付くなんて間抜け過ぎるけどさ……。 まったく……、責められて楽になりたいなんて、甘え過ぎだよなー……。 本当の意味で馬鹿だよ、本当に……。 だからさ……、今度こそ後悔しないように言うよ。 ムギは私の大切な仲間なんだ。 大切な仲間だから、居なくなった和達よりも優先して守りたかったんだ。 それを口に出せなかったのは、私が弱かったからだよ。 自分の決心を信じられる意志の強さが私には足りなかったんだ……。 だから、言い出すと切りは無いけど、一度だけ謝らせてほしい。 思っていた事をちゃんと伝えられなくて……、ごめんな……」 「ううん……、私の方こそ……。 私の方こそもっと自分の気持ちを伝えればよかったよね……。 りっちゃんに何もかも抱えてもらう事になっちゃってて、ごめんね……」 46
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/3002.html
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18241.html
「律が骨折の原因を忘れてた事、変な話だけど、ちょっと嬉しいよ」 「は? 何だ、そりゃ?」 「忘れてたって事は、それは律にとってはよくある事だって意味なんだ。 鍵閉めとか、ガスの元栓とか、 習慣になってる事はちゃんとやってるはずでも憶えてないだろ? つまり、私のために何かをしてくれる事が、 律にとっては当たり前になってるって事なんだよな……」 「や、やめろよ……、こっ恥ずかしい……!」 「嘘を吐かないってさっき約束しただろ? ちゃんと正直に自分の気持ちを話さないとな」 澪が少し意地悪く微笑む。 いつも私にからかわれてるから、その仕返しって意味もあるんだろう。 でも、それだけじゃないのも確かで……、それがやっぱり恥ずかしい。 しばらくの間、澪が顔をちょっと赤くしちゃってる私を見ていた。 何だよ、もう……。 私が恥ずかしさに堪えられそうになくなった時、 そのタイミングを見計らっていたのか、不意に澪が口を尖らせて言った。 「そうそう、律。 ここに来る前、唯から聞いたぞ。 律と和と梓と憂ちゃんと純ちゃんで新しいバンドを組んだらしいじゃないか。 おかげで「りっちゃん、ずるいよね!」って騒ぐ唯をなだめるの大変だったんだからな。 少しくらい私達にも相談してくれよな」 「それは悪いと思ってるよ、澪。 思い付いちゃったら止まらなくてさ……、気付いたらバンド結成してたんだよ。 しかし、唯の奴、やっぱり騒ぎやがったんだな……」 上半身を起こし、頭の上で手を合わせて澪に謝る。 謝りながら、心の中で納得していた。 なるほどな、唯をなだめるのに時間が掛かったから、屋上に来るのが遅かったのか。 それは悪い事をしちゃったよな……。 唯が頬を膨らませて澪に絡む様子が目に浮かぶ。 子供っぽくて笑える光景だけど、人の事は言えないよな。 私だって唯が和や梓達と新バンドを組んだって聞いたら、ずるいなあ、と思うだろう。 でも、間違った事をしたとは思ってない。 新バンドを組んだのは完全に勢いからだったけど、 ライブに向けて動けるのは嬉しいし、皆にも喜んでもらえるはずだ。 澪達だって、仮とはいえわかばガールズのメンバーの演奏が聴きたかったはずだしな。 だから、私がやるべきなのは、澪達に最高の演奏を届けてやる事なんだ。 不意に思い立って、澪の体の上に覆い被さるような体勢になってやる。 覆い被さるって言っても、身体全体で乗っかってるわけじゃない。 妹がお兄ちゃんを朝起こす時に腰の上に乗っかるって感じの体勢かな。 ネタが古いけど、私は何となくそんな体勢を取ってみた。 ひょっとしたら、澪と少しだけくっ付きたかったのかもしれない。 「急に何だよ。重いぞ、律」って言われるかと思ってたんだけど、 意外に澪はそう言わずに、逆に珍しく不敵そうな表情を私に向けて言った。 「別に謝らなくてもいいよ、律。 唯だって羨ましがってるだけで、律を責めてたわけじゃないしさ。 憂ちゃんがちゃんと説明してくれたみたいで、意外に唯も落ち着いてた。 ちょっと目が覚めちゃったらしいムギにも梓が説明してたんだけど、 ムギの奴も羨ましそうにしながら、何か嬉しそうな感じだった。 だからさ……、律の行動は間違ってなかったんだよ、きっと」 そう言ってくれるのは嬉しかった。 特にムギの事は気になってただけに、 嬉しそうにしてくれてるんなら私だって嬉しくなる。 それはよかったんだけど、勿論と言うべきか、澪の言葉には続きがあった。 「でもな、やっぱりずるいぞ、律。 羨ましいし、妬ましいよ。 和まで誘って、楽しそうな事始めちゃってさ」 澪が腕を伸ばして、私の頬を掴む。 それからぐにぐにと動かして私の頬を抓り始めたけど、それくらいは好きにやらせてやる事にした。 しばらく抓って満足したのか、澪がまた言葉を付け加える。 「まあ、いいよ。 律が楽しそうな事を始めるんなら、 私達だって、勝手に楽しそうな事を始めてやるからな? 律だけじゃなく、梓達も羨ましがるような事を始めてやる。 ずるいって思うなよな。これでお互い様なんだから」 「何だよ? 何を始める気なんだ? 教えてくれよー、澪。 嘘は吐かないって約束しただろー?」 上から私が訊ねると、一瞬だけ真面目な表情になった澪が言った。 「内緒だ」 そうして、屈託もなく笑う。 そう来たか……。 確かに嘘は吐いてないよな、嘘は……。 でも、よかった。 澪達も澪達で楽しい事に向けて動き出せてるんだ。 それぞれの未来に向けて、それぞれに向かえてるんだ……。 それならきっと、私達も澪達も元気に生きていけるはずだ。 でも、お互い様ながらちょっと悔しいから、 澪に私達の新バンドの名前を訊かれた時(梓が恥ずかしがって名前は伝えなかったらしい)、 「私も内緒だ」って言って、澪の頬を軽く引っ張ってやった。 こうして、長かった夏の日の一日は終わった。 ◎ ほうかごガールズを組んでから、数日は何事も起こらなかった。 何事も起こらなかったって言うより、 何も進展しなかったって言う方が正しいかもしれない。 あれから何度かあの横断歩道にも行ってみたけど、 何があるわけでもなく、何が起こるわけでもなく、何の手掛かりも掴めなかった。 やっぱりあの時見た生き物の光景は、誰かの夢の中の記憶だったんだろうか。 まあ、こんな事態、進展させようもないっちゃないんだけど、何も出来ないのは悔しい。 だから、その分、私達は新ユニットの練習に励んでやる事にした。 幸いにもと言うべきか、食糧と時間はたくさんあるんだ。 閉ざされた世界に対して何も出来ない分、私達のために何かをしてやりたかった。 ほうかごガールズはほうかごガールズで何かをする。 澪達も澪達で何かをしているらしい。 それでいいんだと思った。 先の見えない世界でも、前に進む事だけはやめるわけにはいかない。 それだけは……、やめちゃいけないと思うから。 「それにしてもさ、和……」 吹奏楽部が使ってる方の音楽室、私はピアノの前に座る和に声を掛けた。 静かに微笑み、和が応じてくれる。 「どうしたのよ、律?」 「上達早いよなー、って思ってさ。 上達って言うか、昔取った杵柄って言うか……。 とにかく、凄いじゃんか。 もう安心して演奏を見てられるよ。 本当に長い間、ピアノ弾いてなかったのかよ?」 「そうかしら? でも、長い間弾いてなかったのは本当よ。 中学に上がる頃には全然弾かなくなっていたから、かれこれ三年くらいになるかしら。 しかも、音楽の授業とお遊びで弾いてただけだから、本当に弾けるってレベルじゃないのよ。 まだうまく弾けない箇所も多いし……。 こんな出来で唯達に聴かせてもいいものなのかしら……?」 不安そうに和が目を伏せる。 初めてのライブを間近にして、流石の和でも不安を隠せなくなって来てるんだろう。 そりゃ初めてなんだもんな。 内輪だけのライブとは言え、緊張しちゃうのは仕方が無い。 私は微笑みを和に向けて、言葉を返してやる。 「何言ってんだよ、和。謙遜かー? 私なんか和の十分の一もピアノ弾けないし、 ドラムの演奏を人前に聴かせるレベルにするまで、すっげー時間が掛かったんだぜ? それに比べりゃ、和のピアノの演奏は自慢してもいいレベルだよ」 「そうだよ、和ちゃん! 私、和ちゃんのピアノの演奏、凄いと思うよ!」 手を胸の前で握ってそう言ったのは唯……、じゃなくて憂ちゃんだった。 何か唯みたいな言葉と仕種だけど、別に私が二人を見間違えてるわけじゃないぞ。 全然違ってるように見えても、二人はやっぱり姉妹なんだなって思う。 しかも、その顔を紅潮させた様子を見る限り、 お世辞じゃなくて本気でそう思ってるみたいだ。 しかし、何だな……。 最近、妙に憂ちゃんと和の仲が良くないか……? 私と出会って三年間、憂ちゃんはずっと和の事を『和さん』って呼んでたはずだ。 いや、そもそも小さい頃は『和ちゃん』って呼び方だったんだろうけどさ。 って事は、呼び方が小さい頃に戻ったって事か。 幼児退行……じゃないよな? この世界を不安に思って、誰かに甘えたくて退行してるって事は無いよな? 憂ちゃんはしっかりしてるし、そんな事は無いだろうけどちょっと不安になる。 もし憂ちゃんが心の奥で悩んでるんだとしたら、私が力にならなきゃいけない。 何が出来るかは分からないけど、憂ちゃんにはいつも世話になってるんだからな。 そういや、憂ちゃんが和を私の前で『和ちゃん』って呼び始めたのはいつ頃だったっけ? あの生き物が消えた日には、まだ憂ちゃんは『和さん』って呼んでたはずだ。 それからしばらくも『和さん』って呼んでたはず。 憂ちゃんが和を『和ちゃん』って呼び始めたのは、確か……。 ……んん? 私の記憶が正しけりゃ、私と一緒に風呂に入ってからだよ、うん。 あのほうかごガールズ結成会議の時には、もう『和ちゃん』って呼んでたもんな。 風呂って……、和と何の関係も無いじゃん……。 私との風呂と『和ちゃん』って呼び方に何の因果関係があるってんだ……。 そうやって唸ってたせいだろうか、 気が付けば、憂ちゃんが心配そうな表情で私の顔を覗き込んでいた。 憂ちゃんが不安そうな口振りで私に訊ねる。 「ど、どうしたんですか、律さん? 調子でも悪いんですか?」 「あ、ごめん、憂ちゃん。 大丈夫。何でもな……」 何でもない、と言おうとして、私は言葉を止めた。 嘘を吐いたってしょうがない。 私が何でもないって言った所で、優しい憂ちゃんは私を心配しちゃうだろうしな。 だったら、本当の事を訊ねた方がずっといいはずだ。 そうすれば、私だって見つからない答えに悩んで唸る事も無くなるしな。 私はちょっと深呼吸してから、憂ちゃんに小さく訊ねてみる。 「調子は万全なんだけど、ちょっと気になる事があるんだよね。 憂ちゃんの事でさ」 「私の事……ですか? 分かりました! 私で答えられる事なら何でも答えますよ、律さん。 何でも訊いて下さい!」 まっすぐな視線で憂ちゃんが私を見つめる。 やっぱり、いい子だな……。 この調子なら退行って事も無いだろう。 私はホッとしながら、憂ちゃんの好意に甘えて訊ねさせてもらう。 「いや、大した事じゃないんだけどさ、 最近、憂ちゃんは和の事を『和ちゃん』って呼んでるよね? これまでは『和さん』だったはずなのに、どうしてなのかなって思ったんだ。 呼び方なんて個人の自由なのに、変な事気にしちゃってごめんね」 私の言葉が終わると、憂ちゃんが苦笑した。 私の質問に苦笑したって言うより、 自分自身の変化にやっと気付いたって感じの苦笑だった。 苦笑しながら、憂ちゃんが私の質問に応じてくれる。 「あ、そうですね……。 律さんに言われるまで気付きませんでした。 そういえば私、律さん達の前では和ちゃんの事を『和さん』って呼んでましたよね。 いいえ、ほとんどの人の前では、『和さん』って呼ぶようにしてたんです。 それこそ、お姉ちゃんの前でも……。 流石にそれはお姉ちゃん相手でも恥ずかしいですし……。 だけど……」 「だけど?」 「本当は私、やっぱり和ちゃんの事は『和ちゃん』って呼びたくて……。 だから、親しい人の前だと、その呼び方になっちゃうんだと思います。 実は私、梓ちゃん達の前じゃ、結構『和ちゃん』って呼んでたんですよ。 つまり……、えっとですね……」 珍しく憂ちゃんが言葉を詰まらせる。 視線をあちこちに動かして、顔を少し赤く染めてるみたいだった。 多分、照れてるんだろう。 憂ちゃんが照れるなんて、滅多に無い事でとても新鮮だ。 親しい人の前じゃ呼び方が変わっちゃう……。 確かにそういう事もあるだろう。 特に憂ちゃんは分別のある子だから、 年上の人に対する呼び方にはすごく気を使ってるはずだ。 私達なんかずっとさん付けで呼ばれてるしな。 考えてみれば、ほうかごガールズは憂ちゃんの親しい人間ばかりで構成されてる。 同級生の梓、純ちゃん、幼馴染みの和。 これだけ親しい人間が揃えば、徹底してた呼び方もつい変わっちゃうってもんだ。 私だって気を抜くと、澪の事をたまに『澪ちゃん』って呼びそうになるしな。 ううむ、幼い頃の習慣と言うやつは恐ろしい……。 まあ、高校生にもなって、 さわちゃんの事をママと呼んじゃった事がある澪には敵わんが。 私は静かに微笑んでから、憂ちゃんに軽く頭を下げた。 「そっか、ありがと、憂ちゃん。 何か恥ずかしい事を訊いちゃったみたいでごめんね。 そうだよね、やっぱり幼馴染みくらい自分の好きな呼び方で呼びたいよね。 唯の前じゃ和ちゃんって呼びにくいってのも分かるな。 ……そうだ! 変な事訊いちゃったお詫びに、私の事もりっちゃんって呼んでくれていいよ!」 最後のは冗談のつもりだったんだけど、 意外と憂ちゃんは笑う事もなく真剣な表情で視線を私にぶつけた。 「本当にいいんですか、律さん? りっちゃんって呼んでも、いいんですか? いいんでしたら、私も嬉しいです……!」 「う、うん……。勿論だよ……」 予想外の憂ちゃんの言葉に、私はちょっと気圧されてしまう。 あれ……? おかしいな……。 憂ちゃんなら「もう、律さんったら」って微笑む所だと思ってたんだけど……。 いや、別に嫌なわけじゃない。 呼ばれ方は気にしない方だし、 憂ちゃんがいいなら何だって好きに呼んでくれて構わない。 でも、憂ちゃんって年上にこんな積極的な子だったっけ……? さっきみたいに私はまた首を捻る。 そうやって憂ちゃんの真意が分からずに悩んでいると、 仕方ないわね、とでも言わんばかりに苦笑しながら、和が口を開いた。 「律はもうちょっと人の話をよく聴くべきね。 律が鈍感だから、憂が困ってるじゃないの。 よく思い出して。さっき憂は何て言ったかしら? 親しい人の前だと私の呼び方が変わっちゃうって、憂は言ったわよね? これがどういう事か分かるでしょ?」 「言われなくても分かってるって。 今、音楽室には和と梓と純ちゃんが居るだろ? だから、憂ちゃんが和を和ちゃんって呼ぶのは分かるよ。 やっぱ呼べる時は好きな呼び方で呼びたいもんな」 私が言うと、和がわざとらしく大きな溜息を吐いた。 傍から見ていた純ちゃんの表情もちょっと呆れ気味だ。 何だよ……、間違った事は言ってないはずだぞ……? 溜息を吐きながら、和が話を続ける。 「やっぱり分かってないんじゃない……。 律の言った通り、今、ここには私と梓ちゃんと純ちゃんが居るわ。 それと憂と……、もう一人居るじゃない」 「もう一人……って、私かっ?」 「他に誰が居るのよ……。 律ったら鋭い時は鋭いのに、自分の事になると全然分かってないわよね。 憂が私の事を律の前で『和ちゃん』って呼ぶようになったのは、憂と律が親しくなったからなの。 変わったのは私と憂の関係じゃなくて、律と憂の関係なのよ。 どうして律はそんな単純な事に気付かないのかしら……」 「いや、だって……、そんな……」 私は呻くみたいに呟く。 流石にそこまで自分に自信は持てないよ、和……。 特に憂ちゃんとは三年以上、 『友達の妹』と『お姉ちゃんの友達』って関係で付き合って来たんだ。 急に自分達の関係性が変わるなんて思わないじゃないか……。 大体、きっかけが分からない。 風呂か? 風呂なのか? 一緒に風呂に入った事が、二人の関係をそんなに激変させちゃうもんなのか? 「律先輩ったら、女泣かせのプレイボーイなんだからー」 からかうみたいに純ちゃんが笑う。 普段なら言い返したい所だったけど、 鈍感な自分に恥ずかしさが増して来てそれも出来なかった。 いや、本当に恥ずかしいのは、きっと私よりも憂ちゃんの方だ。 おずおずと視線を向けてみると、憂ちゃんが顔を赤く染めながら私を見つめていた。 あー、もう! 何やっちゃってんだよ、私は! こんなの憂ちゃんに物凄く悪いじゃないか! 私は自分の顔が熱くなるのを感じながら、それでもどうにか憂ちゃんと目を合わせて言った。 今は憂ちゃんとしっかり話をしなきゃいけない時なんだ。 私の恥ずかしさなんて、今はどうでもいいんだ。 26
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18244.html
私が何も言わない事が気になったんだろう。 純ちゃんのモコモコを手放すと、梓が軽く咳払いをした。 それから、妙に真剣な視線を私に向ける。 「耳コピとか何とかは置いておくとしましてですね、律先輩……」 「な、何だよ……?」 「律先輩、気付いてます? 律先輩は私の事、自分に翼を与えてくれた天使だって言ってくれましたよね……? 恥ずかしいですけど、それは嬉しいです……。 でも、ちょっと考えてみてくれませんか? 私が律先輩に心の翼を贈った天使だとしたら、 今、私に心の翼を贈ろうとしてくれてる律先輩も、天使って事になりませんか?」 「はあっ?」 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。 さっき誰かに天使って呼ばれる事なんて無いだろうって思ってただけに、余計に恥ずかしさが込み上げて来る。 でも、一応理に適ってる言葉だけに、梓に何かを言い返す事も出来ない。 誰かに救いを求めて周りを見回してみると、純ちゃんと視線が合った。 純ちゃんは頷き、私に助け船を出すように言ってくれた。 「いいじゃない、梓! 律先輩は梓に心の翼をくれる天使! 二人とも天使なんだよ! 梓もいい事言うじゃん!」 って、うおーいっ! 助け舟じゃなかったー! 自分が先にやった事ながら、天使って呼ばれるのはあまりにも恥ずかしい。 私のその恥ずかしさを分かってるはずなのに、悪戯っぽく和が純ちゃんの言葉に頷いた。 「そうね、素敵な考え方だと思うわ。 放課後ティータイムのメンバーは全員天使って事でいいじゃない。 律も天使って考え方、私は妥当だと思うわよ」 ひでえ……。 滅多打ちの火だるまだ……。 しかも、天使、天使って言われるから、思わず自分が天使の恰好をしてる姿を思い浮かべてしまった。 白い衣を纏って、頭に光輪を浮かべ、背中には荘厳な雰囲気の翼が……。 って、超似合わねー! おかしーし! 超おかしーし! 私はつい頭を抱えて悶えてしまう。 いくら何でも、我ながらこれはあまりにも酷過ぎる……。 気が付けば、多分、私と同じ事を考えてるんだろう梓が口元に手を当てて笑っていた。 「律天使……、ぷっ!」 「中野アズキャットー!」 私は梓に掴み掛かろうとしたけど、すぐに思い直して梓の頭を掴んだ。 日焼けしてる梓を痛がらせるわけにはいかないからな……。 でも、せめて私の恥ずかしさくらいは思い知れ! 私は梓の頭を存分にクルクルと回し、私の恥ずかしさを思い知らせてやった。 だけど、よかったよな……。 こんな軽口を叩けるくらいなら、梓の緊張も少しずつ解けてきてはいるんだろう。 完全にちゃんと歌えるようになるまではもう少し時間が掛かるだろうけど、それは仕方が無い。 努力家の梓を安心させられるのは、積み重ねた練習だけだ。 梓が自分を信じられるようになるまで、思う存分練習に付き合おう。 梓に嫌われたわけでもなかったみたいだし、しっかり付き合わなきゃな。 胸に湧き上がる安心感。 皆、一緒に笑う。 幸せだ。 こんな世界でだって、皆で一緒に笑えられれば幸せだ。 八人がずっと一緒に笑えるんなら……。 でも。 皆で笑いながら、練習をしながら、気付く。 梓に嫌われてなかったのはとても嬉しい。 凄く嬉しい。 だからこそ、思った。 もしも本当に梓に嫌われてしまったら、私はどうなってしまうんだろう。 梓だけじゃない。 唯でも、澪でも、ムギでも、憂ちゃんでも、純ちゃんでも、和でも……。 残された八人の中の一人でも失われてしまったら、私達はどうなっちゃうんだろう……。 考えても仕方が無い事だって、分かってる。 でも、幸せだからこそ、 私は胸に湧き上がる不安感を忘れる事が出来なかった。 ◎ 「これで全部だったよね?」 「多分なー。ま、足りない物があったら、また取りに行きゃいいだろ」 「うわっ、りっちゃん適当だー」 「うっせ。 だったら、今この場でリュックサック開けて中身確認するか?」 「勘弁してであります、りっちゃん隊長!」 「分かればよい、唯隊員。今後も精進せい」 「は、光栄であります!」 私が隊長っぽく言ってやると、唯が敬礼みたいなポーズを取った。 敬礼はいいんだが、何でドイツ式敬礼なんだよ……。 いや、ドイツ式敬礼ともちょっと違うか。 つーか、唯の奴、こういうポーズ取る事多いよな。 癖なのか? まあ、いいや。 閉ざされた世界に迷い込んで二十日目。 私は久し振りに唯と二人きりで食糧調達に出ていた。 とっくに夏休みも終わってる時期だってのに、妙にまだまだ暑苦しい。 単に残暑が厳しいだけなのか、 それともこの世界を夢見てる誰かが夏の世界しか想像出来てないのか、 そのどちらなのかは分からない。 まあ、別にどっちでもよかったし、 どっちか分かった所で涼しくなるってわけでもないだろう。 それにしても、唯と一緒に食糧調達に出るのは本当に久し振りだ。 生き物の姿が消えてしまって以来、唯は誰よりも憂ちゃんの傍に居ようとしてた。 憂ちゃんの事が心配なのかなって思ったけど、そうじゃないみたいだった。 勿論、唯自身が不安だから、憂ちゃんに付き纏ってるってわけでもない。 見る限り、単純に里帰りで実家に居る妹に会えて嬉しいってだけみたいだ。 しょっちゅう連絡を取り合ってるはずなのに、 やっぱりずっと一緒に住んでるのと比べれば雲泥の差なんだろう。 私だって、実家に戻った時は必要以上に聡に構っちゃったもんな。 聡の奴、しばらく会わない内にかなり身長が伸びてた。 どんどん男らしくなってて、びっくりするくらいだ。 きっと、いつの間にか私よりずっと背が高くなっちゃうんだろう。 何か悔しい。 私だってもっとおっきくなってやりたい。 ……けど、年齢的にどうなんだろう……。 いやいや、希望を捨てちゃ駄目だ。 絶対におっきくなってやるぞ! 胸の話じゃなくて身長の話な! 「今日の夕飯、何だろねー?」 お気楽な感じに唯が微笑む。 こんな状況になったってのに、唯はまだまだ変わらず元気だ。 凄い奴だなって思う。 唯だって不安や恐怖を感じてないわけじゃないだろう。 でも、こいつは笑うんだ。 笑えてるのは憂ちゃんや和が傍に居るからだと思う。 二人に依存してるって話じゃない。 二人を不安にさせないために、唯は笑うんだ。 普段通りの姿を憂ちゃんと和に見せるんだと思う。 唯の奴がそこまで考えてるのかどうかは微妙な所だけどさ。 「さあなー? 何だろなー? 今日は澪が夕食の当番だし、カレーにでもするんじゃないか? あいつ、結構カレーが好きだからな。 まあ、甘口だろうけどさ」 「私、甘口好きだよ?」 「私だって嫌いじゃないけど、たまには中辛も食べたいっつーの。 『カレーのちライス』の歌詞でもあるけど、 あいつにとっちゃ中辛はかなりの挑戦なんだよなー……」 「私も中辛はあんまり食べないなあ……」 「何だよ、女の子ぶるなっつーの。 カレーってのは辛いからカレーなんだぜ?」 「それ駄洒落だよ、りっちゃん……」 「ははっ、まあな。 それより最近どうだ? 練習は上手くいってるのか?」 「もちろ……、何の話?」 唯がわざとらしく視線を逸らす。 ちっ。 さり気無く話題を変えてみたが、引っ掛からなかったか。 あ、こいつ目を逸らしながら口笛吹いてやがる。 唯のくせに口笛吹けるなんて生意気な。 私ですら吹けないっつーのに……。 つーか、口笛って本気でどうやって吹くんだよ。 って、口笛の事はどうでもよかった。 唯の奴、この調子だと白状しそうにないな……。 前に澪は私達で勝手に楽しそうな事を始めるって言っていた。 間違いなく、私達の後でライブをやるんだろうなって思う。 軽音部なんだから、他にやる楽しそうな事も無さそうだしな。 最近、唯と澪とムギは三人で集まって、軽音部の部室に集まってる事が多い。 聴いた事が無い曲が聞こえてくる事も結構ある。 私達ほうかごガールズはそれを聞かなかった事にしてる。 ちょっと聞こえても、すぐ忘れるように努力もしてるんだ。 こいつらがサプライズでライブをしたいってんなら、その邪魔はしたくないからな。 だけど、その練習の達成状況くらいは知りたかった。 時間だけは無駄にあった事も手伝って、私達の演奏はもうほぼ完成してる。 和のピアノの上達は凄く早かったし、 梓の歌も上手いってほどじゃないけど、人に聴かせられるレベルにはなってきた。 私だってブランクは完全に埋められたと思う。 でも、だからと言って、勝手にライブを開催しちゃうわけにもいかない。 こっちが完璧な演奏を聴かせたいように、 唯達だって私達に完璧な演奏を聴かせたいのは間違いないんだから。 お互いに最高のライブをやってやりたいじゃないか。 でもなあ……、唯達はサプライズのつもりだろうからなあ……。 練習がどれくらい進んでるか教えてくれるわけないんだよなあ……。 前に唯が「サプライズを考えてるんだよ!」って宣言してたから、 サプライズライブは絶対に間違いないんだけどさ。 つーか、内容が何だろうと、 サプライズを宣言しちゃったら既にサプライズじゃないだろう、唯よ……。 まあ、唯にとっちゃ、サプライズの内容が分からなきゃサプライズなんだろうな。 だから、結局は探り合いをしなきゃいけない。 澪やムギは口が固いから、探りを入れるのは必然的に唯になる。 でも、こいつも結構強情なんだよな。 何だかんだと梓には『天使にふれたよ!』を隠し通せたわけだし。 うーん……、どうしたものか……。 私が腕を組んで首を傾げてると、話を誤魔化すためか唯が急に言った。 「そうそう、りっちゃん。 憂の様子はどう? 最近、憂が素っ気無い気がするんだよねー……。 今日も食糧調達に誘ったのに、断られちゃったし……。 どうしよう……、反抗期なのかなあ……?」 その言葉には誤魔化しもあったんだろうけど、本音も混じってるみたいだった。 ちょっと寂しそうな視線を見る限り、本気で私に訊ねたかった事なんだろう。 正直、憂ちゃんの様子に関しては、私も気になってはいた。 勝手な印象だけど、唯と憂ちゃんは四六時中くっ付いてる姉妹ってイメージがある。 それは二人を知る誰もがそう思ってる事のはずだ。 だけど、最近の憂ちゃんの様子と印象は違っていた。 唯からは近付こうとしてるのに、 憂ちゃんは普段の笑顔でそれをかわしていた。 唯の言葉通りなら、今日だって唯の誘いを断ってたみたいだし……。 何か普段とは違う気がするんだよな。 でも、反抗期って事は無いと思う。 一緒にこそ居ないけど、憂ちゃんの口から出るのは唯の話ばかりだ。 憂ちゃんは本当に幸せそうな顔で、唯の話ばかりしてる。 だから、唯が心配する必要は無いはずなんだ。 私は唯の頭に手を置いて、軽く撫でてやる。 唯の不安そうな視線が少しだけ緩んだ。 「心配すんなって、唯。 おまえと一緒に居ない時、憂ちゃんはおまえの話ばかりしてるよ。 音楽を始めてお姉ちゃんって本当に凄かったんだって思いましたって、 お姉ちゃんにみたいに音楽をもっと好きになりたいって、本当に幸せそうに話してる。 だから、心配するな。憂ちゃんはおまえの事が大好きだよ」 「そっか……。そうだよね」 やけにあっさりと唯が頷く。 ただし、ちょっとだけ自信なさげに。 私はもう一度、唯の頭を撫でる。 「そうだよ。 憂ちゃんが素っ気無く見えるのは、実は唯の方が素っ気無いからじゃないか? サプライズで何かするって言ってたけど、その内容を憂ちゃんにも内緒にしてるだろ? だから、憂ちゃんが寂しがってる……とかな」 「うーん……、でもー……。 サプライズはサプライズだし……、でもでもー……」 唯が戸惑った表情で呟き始める。 ちょっと意地悪し過ぎたかもしれない。 私は心の中で唯に謝ってから、満面だと思う笑顔を唯に向けて言った。 「いいさ、待つよ、唯達のサプライズ。 まだ……、準備中なんだろ? こっちも焦り過ぎちゃってたみたいだ。 ごめんな、唯」 「あっ、ううん……。 こっちこそごめんね、りっちゃん……。 もうちょっと……、もうちょっとなんだ……。 完成したら、すぐりっちゃん達に報告するね。 だから……、それまで待っててくれる……?」 「了解だ。待つよ。 ただ急げよ、唯? もたもたしてると、私達のライブの完成度がどんどん凄い事になっちゃうんだからな!」 「ええぅ!? い、いいよ! こっちだって負けないもんね!」 「その意気やよし!」 私が笑うと、唯も笑った。 そうだ。焦りたいけど、焦っちゃいけない。 そんなの満足いくライブには絶対に繋がらない。 唯がもう少しって言ったんだ。私はそれを信じて待とう。 この世界で八人で笑って生きてくためにも。。 「それでさ、唯……」 「お姉ちゃーんっ!」 私が何かを言おうと言葉を出した瞬間、 その声は憂ちゃんの大きな声に掻き消された。 話をしている内に、私達はいつの間にか学校まで戻って来ていたらしい。 別に何か大した事を言おうと思ったわけじゃない。 私は苦笑して、声がした方向に視線を向ける。 視線を向けた先では、憂ちゃんと純ちゃんが私達の方に駆けて来るのが見えた。 途端、リュックの中身が相当重いはずなのに、 そんな事お構い無しに、唯が手を伸ばしながら憂ちゃんに向けて駆け出した。 「憂ーっ!」 あっという間に傍にまで駆け寄り、 憂ちゃんの手を両手で握ってから唯が続ける。 「ごめんよ、憂! もうちょっと! もうちょっとだからね! もうちょっとだけ待っててね!」 おいおい、いきなりそれじゃ分からんだろ……。 いくら何でも憂ちゃんだって、困った表情を浮かべて……ないな。 憂ちゃんは普段通り優しく微笑んで、唯の手を握り返していた。 「分かったよ、お姉ちゃん! 私、待ってるね!」 「ありがと、憂ー!」 すげえ、会話が成立してる……。 流石の憂ちゃんでも、 唯が何の事を「待って」って言ってるのかは分かってないはずだ。 でも、憂ちゃんは待つ事に決めたんだ。 唯が「待って」と言う事なら、どれだけだって待つ気なんだ。 凄い信頼関係だと思う。 私と聡も仲がいい姉弟だと思うけど、唯達には全然敵わないよ。 憂ちゃんはやっぱり反抗期なんかじゃない。 何か理由があって唯とちょっと距離を置いてるだけなんだ。 憂ちゃんが穏やかな笑顔を浮かべたまま、唯に向けて続けた。 「それよりお姉ちゃん、 澪さんと紬さんが部室で待ってるよ。 そろそろ待ち合わせの時間なんじゃない?」 憂ちゃんに言われ、唯が右手に嵌めた腕時計を見る。 生き物が居なくなって以来、私達は普段使わない腕時計を嵌めている。 電気が通ってないから、正確な時間が分かりにくいんだよな。 携帯電話の充電もしてないし……。 と言うか、右利きが右手に腕時計嵌めんなよな……。 別に左手じゃなきゃいけない決まりも無いんだけどさ。 「あーっ、本当だーっ! 急がなきゃ! また澪ちゃんに叱られちゃう……!」 憂ちゃんの手を離して駆け出そうとして、唯が一瞬止まる。 名残惜しそうに憂ちゃんの顔を見つめている。 自分が憂ちゃんに嫌われてないらしい事は分かってくれたみたいだけど、 それでも仲のいい妹と離れるのを躊躇っちゃってるらしい。 親友と妹……、どっちを選ぶべきか迷ってるんだ。 でも、憂ちゃんは普段通り笑って言ったんだ。 「ほらほら、お姉ちゃん。 リュックサックは私が運んでおくから、早く澪さん達の所に行ってあげて。 澪さん達、お姉ちゃんの事、今か今かと待ってると思うよ?」 29
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18253.html
でも、思った。 私が過去を思い出して笑っちゃってるって事に。 悪い事じゃないって思う。 でも、笑っちゃっていいのか、不安になった。 私は未来に進む事を決心した。 皆と一緒に居るために、突き進んでいく事を決めたんだ。 過去を切り捨ててまで……。 失った大切な仲間達を犠牲にしてまで……。 そんな私が……、過去を思い出して笑顔になっちゃっていいんだろうか……? その答えが出るより先に、ムギが静かに呟いた。 誰に聞かせるわけでもないみたいな、独り言みたいな呟きだった。 「また……、皆で演奏したいな……」 呟いた後、はっとしたみたいにムギが自分の口元に手を当てた。 まずい事を言っちゃったって思ったんだろう。 今、そんな事をしてる場合じゃないって、そう思ったんだろうな。 確かにそんな事をしてる場合じゃない。 今の私達は自分達が生きてく事を最優先に考えるべきなんだ。 ……けど。 私だってムギと同じ気持ちだった。 私とムギだけじゃなく、皆、同じ気持ちだと思う。 私達は軽音部で、音楽が大好きなんだ。聴くのも演奏するのも大好きなんだ。 過去がどうのってのはともかく、皆で演奏したいって気持ちだけは、否定したくない。 気が付けば、私はムギの頭に手を伸ばしていた。 「演奏……、また皆でしたいよな……」 言いながら、ムギの頭を撫でる。 演奏したい。 演奏してやりたい。 特に今の私は不完全燃焼なんだ。 ライブ寸前、あの一陣の風のせいで、私達は練習の成果を披露出来なかった。 そんなに上手い演奏にはならなかったかもしれないけど、演奏自体出来ないよりはずっとマシだった。 だから、すごく悔しくて、不完全燃焼だ。 出来る物なら、今すぐにでも演奏してやりたい。 ムギが意外そうな表情で私の顔を見て、 しばらくしてから、真顔になって「うんっ!」と頷いた。 私達は軽音部なんだ。 何も出来なくたって、不安に押し潰されそうだって、音楽だけは捨てたくない。 「だけど……ね……」 ちょっと悲しそうにムギが呟き始めた。 ムギが何を言おうとしてるのか分かったけど、私は黙ってムギの言葉の続きを聞く事にした。 ムギが続ける。 「楽器が……無いんだよね……」 辛そうに呟く。 やっぱりそうなんだなって思う。 私だって同じだ。 唯や澪ほどじゃないにしろ、自分の楽器には愛着があるし、今手元に無い事が辛い。 ムギだって卒業旅行の時に日本から自分のキーボードを送ってもらうくらいだったんだ。 自分のキーボードが無い事を辛く思ってるのは間違いない。 胸の痛みを感じる。 でも、私は前に進むって決めたから、ムギの頭を撫でながら言ったんだ。 ムギを傷付けるかもとは思ったけど、言っておくべきだって思ったんだ。 「ムギ……、楽器屋、行こうぜ……。 新しい相棒を探しにさ……。 今日はもう遅いから、その内、時間が出来た時にでも……さ。 それでまた演奏してやるんだよ。 な?」 ムギが私の言葉に視線を彷徨わせる。 そうするべきだって想いと、そうしたくないって二つの想いが戦ってるんだろう。 どっちが正しいのかは分からないし、多分、どっちも正しいんだろう。 でも、私は未来に進むのを選んだんだから、新しい相棒を探す事を選びたかったんだ。 結局、ムギは頷きも首を横に振りもしなかった。 迷ってるんだ、きっと。 でも、それでよかった。 私は未来に進むけど、ムギには迷って自分の答えを見つけ出してほしい。 そうやってムギが出した答えなら、私だって素直に受け止められると思う。 そうして、私達は色んな迷いや想いを抱えながら、 食糧や日用品をリュックに詰めてホテルに戻った。 複雑な表情を浮かべてたムギだけど、帰り道ではまた笑顔を見せてくれるようになった。 色んな想いを抱いて、迷いながらも、笑顔になる事を選択したんだろう。 私はそんなムギを支えていけたら嬉しいって思った。 そこまでは、私も笑えてた。 そこまでは……。 でも、それから、その私の笑顔は、 ホテルの部屋に戻って、長く失われる事になる。 長い長い間、笑う事が出来なくなる。 笑えるもんかよ……。 きっかけはホテルに戻って、 部屋の扉を開いた時に目にしたものだった。 ムギと一緒に重い荷物を持って階段を上って、 ちょっと疲れながらも元気な声を出して扉を開く。 「おいーっす。戻ったぞー」 扉を開いた先には一人の女の子が立っていた。 結ぶには少し短めの髪をポニーテールにした女の子……。 憂……ちゃん……? 私の胸が息苦しいほどに鼓動を始める。 憂ちゃんなのか? 憂ちゃんもロンドンまで飛ばされていたのか? 他の二人も元気なのか? だったら嬉しい。だったら嬉しい……けど……。 何なんだよ、この不安感は……。 喜ぶより先に私の胸が鼓動し続ける。 これは違うって胸の奥が叫びを上げる。 こんな事があるはずがないって、私の心の声が大声で主張する。 そうだ、ありえない。 こんな事は……、ありえない……。 これは……、これは、つまり……。 「あっ、お帰りなさい」 言いながら、女の子が振り向く。 憂ちゃんの顔の女の子……。 その顔には赤いアンダーリムの眼鏡が掛けられていて……。 和の物と同じ眼鏡が……。 息を呑んだ。 声が出ない。出せない。 これはどういう事だ……? 当然、転移の失敗で憂ちゃんと和が融合しちゃったとか、 馬鹿みたいなわけの分からない陳腐な展開ではありえない。 もっともっともっともっと単純な理由だ。 でも、転移の失敗って陳腐な理由の方が、ずっと良かったかもしれない。 そうだ。ちょっと考えれば分かる事だ。 扉の向こう、髪を結んで眼鏡を掛けた女の子は……。 間違いない。 もう見分けがつくくらい、こいつの顔は見慣れてる。 そう。 こいつは私達のよく知ってる仲間……。 唯なんだって事だ。 ◎ 何が起こったかはすぐ理解出来なかった。 正直、時間が止まった。 動き出せない。 息が止まる。 でも、頭の中だけは目眩がするくらいの思考が、 ぐるぐるぐるぐる回ってる。 何だよ、これ? 唯はどうして髪を結んでるんだ? いやいや、髪を結ぶ事自体は全然いい。 たまに結んでた事もあるし、髪くらい自由に結んでいいじゃないか。 唯のくせに可愛い髪型だなって思う事も何度かあった。 でも、何で? どうして? よりにもよって、どうしてこの髪型を選んでるってんだ? 短い髪をリボンでポニーテールに結んで、まるで憂ちゃんみたいに。 唯に瓜二つの妹の憂ちゃんみたいに……。 そして、眼鏡。 何処で見つけたのか、アンダーリムの赤い眼鏡。 多分、服を探しに行った時に見つけ出したんだろうその眼鏡。 和の物と全く同じ眼鏡。 トレードマークみたいな私達の親友の和と同型の眼鏡を……、 唯が掛けている……。 何だ、何だ、何だってんだ。 唯はどうして二人を思い出させる恰好をしてるんだよ? 過去を思い出すのはいい。 失った三人を捜し続けるのだって構わない。 それは唯の権利だし、私はその唯の選択を否定しちゃいけない。 否定したくない。 だけど、 これは、 これだけは、 駄目だ。 過去に追い込まれちゃう事だけは、絶対に駄目だ。 過去に目を向けながらでも、前には進まなきゃいけないんだ。 唯が思い出に浸るのは構わない。 でも、唯が思い出に支配されてるのは、見てられない。 唯は今、失った二人に似せた恰好をしている。 それが何を意味してるのかは分からない。 唯の気持ちなんて絶対に分からない。 でも、推測は出来る。 唯はきっと……、失った仲間達の傍に居たいんだ……。 どんな形でも、どんな手段でも、仲間達の事を感じていたいんだ。 きっとそうなんだ。 だから、こんな事をしちゃってるんだろうな……。 それが私には分かる。 私も同じ事を感じた事があるからだ。 正直な話、閉ざされた世界に来て以来、鏡を見る度に胸が痛むのを感じてた。 鏡を見て、目元なんかを見る度に、思い出すんだ。 聡を。 私の弟の聡を。 私達はそんなに似てる姉弟じゃない。 男と女だし、年子ってわけでもないし、ちょっと似てるかな? ってくらいの姉弟だ。 でも、ちょっとだけ似てるだけで十分だった。 よく歌なんかで別れた恋人と似た誰かを見つける度に辛くなるって歌詞があるけど、その通りだ。 聡の面影を見つける度に、私は胸が締め付けられそうに痛んでたんだ。 しかも、その面影が自分の顔の中にあるってんだから、余計に悔しくて辛くなる。 私でさえそうなんだ。 憂ちゃんと瓜二つの唯は、鏡の中に妹の姿を見つけてどう思ってたんだろう。 今は存在しない妹の姿を見つけて……。 私なんかには想像も出来ない喪失感が湧き上がったはずだ。 どうにかして妹を取り戻したいって思ったはずなんだ。 だから……? だから、なのか……? だからこそ、唯は髪をポニーテールにしてるのか? 自分と妹の繋がりを消さないために、 妹を絶対に忘れないために同じ髪型をしてるんじゃないか? アンダーリムの眼鏡もそうだ。 眼鏡を掛けて、和を必ず取り戻すって決意してるんじゃないか? 思い出を手繰り寄せるために……。 それは立派な事だと思う。 何かを成し遂げようとしてる唯の事は応援してやりたい。 唯の決意を支えてやるべきなんだ、私は。 支えるべきなんだよ、私は……。 でも……。 それが、 出来ない。 どうしても、出来ないんだよ……。 唯の姿を見た瞬間、頭の中から何もかもが吹き飛んでしまう感覚が私を襲った。 過去よりも未来を重視しようって決意が崩れていく気がした。 揺らいでしまったんだ、情けない事に。 分かってる。 唯にそんな気持ちが無い事は分かってる。 唯は誰かを責めるような奴じゃない。 誰かのせいにする奴じゃない。 それはよく分かってる。 信じてる。 信じてるはずなのに……。 それを一瞬考えてしまっただけで、私はもう動き出せなくなる。 唯はひょっとして、憂ちゃん達を見捨てた私を責めてるんじゃないかって。 憂ちゃんの姿を見せつけて、三人を見捨てたを自覚させようとしてるんじゃないかって……。 そんな事あるはずないのに、そう思ってしまう私が居る。 それ以上に。 唯が私を責めてるのかもって可能性以上に、 唯を疑ってしまってる自分が情けなくて、辛くて、嫌で……。 私は……、動き出せなくなる……。 「どうしたの、りっちゃん……?」 ムギが扉を開けたまま部屋に入ろうとしない私の肩に手を置く。 返事をしなきゃとは思うのに、咄嗟に言葉が出ない。 口を開いても喉から声を出す事は出来なかった。 そんな私の姿を不安に思ったんだろう。 ムギは身を乗り出して私の背中側から部屋の中を覗き込んだ。 「唯……ちゃん……?」 ムギの静かな声が響く。 その声色からは、ムギの感情は読み取れない。 私の方はと言えば、振り返ってムギの表情をうかがう事も出来ない。 ムギが唯の姿をどう思ってるのかを知るのが怖い……。 私は視線を伏せる。 出来る事なら耳を手のひらで塞ぎたい気分だった。 ムギの反応を……、知りたくない……。 「おっ、ムギちゃんもおかえりー。お疲れ様ー」 唯の明るい声が上がる。 その声に対してムギは……、ムギは……。 言った。 想像以上に明るい声で言ったんだ。 「わあっ、どうしたの、唯ちゃん? その眼鏡、すっごく似合ってる! あっ、ひょっとしてその眼鏡とその髪型って……」 それ以上の言葉を聞いて、正気で居られる自信が無かった。 気が付くと、私は自分でも驚くくらいの大声を上げていた。 わざとらしかったけど、わざとらしくても、そうするしかなかった。 「あーっ! しまったあっ!」 「ど……、どうしたの、りっちゃん……?」 唯が不安そうな声色で私に訊ねる。 その唯の表情を見る事は私には出来ない。 したくない。 これ以上、ここには居られない。 未来に進むためには、ここに居ちゃいけない……! 私はもう一度、誰の顔も見ないようにして、 背負ってたリュックサックを部屋に投げ入れてから大声で叫んだ。 「今日は私が風呂当番だったんだ! 急いで沸かさないと梓達に叱られちゃうじゃんかよ! 悪いけど荷物は頼むよ! また後でな!」 言い終わるが早いか、私はその場から駆け出していく。 駆け出さなきゃ、自分が自分で居られなくなる……! 「えっ? えーっ? 今日のお風呂当番りっちゃんだったっけ? そんなの後でも……!」 私を呼び止めようとする唯の声が響いたけど、私は振り返らずに走り続ける。 物凄い勢いで走る。 その場から、逃げ出す。 唯の姿を見たからだけじゃない。 ムギの明るい声を耳にした瞬間、私は自分の心が壊れそうになるのを感じた。 似てる誰かが居るのは、私と唯だけじゃない。 新入部員の菫ちゃんって子はムギとそっくりだって梓が言っていた。 私も何度か目にした事があるけど、菫ちゃんはムギとよく似てると思う。 だとしたら、ムギだって私達と同じ苦しみを感じてたはずだ。 鏡を見る度に、辛い気持ちで居たはずなんだ。 でも……、ムギは唯の姿を見て明るい声を出した。 唯の行動を嬉しく思ってるみたいな声だった。 それはつまり、ムギは唯の想いを認めたって事なんだ。 思い出から目を背けず、 大切な思い出を絶対に取り戻すってムギも思ってるって事なんだ。 やめてくれ、と思った。 やめてくれよ……。 私の決心を揺るがさないでくれよ……。 未来を生きようって選んだ私の選択が間違ってたんじゃないかって思わせないでくれよ……。 思い出をまっすぐ見つめられてる唯達みたいに、私は強くないんだよ……。 私は一つの事に目を向ける事しか出来ないんだよ……。 「ちっ……くしょー……」 私の口から呟きが漏れる。 誰に向けて漏らした呟きでもない。 強いて言えば、自分自身に向けての呟き。 揺れてばかりの弱くて情けない自分への言葉だった。 私だって三人の事は忘れたくない。 忘れたくないけど……、 そればっかりに目を向けて進めるほど、私は器用じゃない。 胸の痛みに目を向けながら歩けるほど、私は強くないんだ。 不意に。 私は憂ちゃんと一緒に風呂に入った時の事を思い出した。 私と憂ちゃんの距離が少しずつ近付くきっかけになったあの日の事……。 憂ちゃんの笑顔と憂ちゃんの言葉はまだ鮮明に思い出せる。 忘れたくない。 だけど……。 あの日、憂ちゃんに背中に抱き着かれた感触だけは、 何故だか、どうしても思い出せなかった。 憂ちゃんの体温が私の中から少しずつ消え去ってしまっている。 憂ちゃんだけじゃなく、和や純ちゃんの体温も……。 少しずつ消えていく仲間達への想い……。 ひょっとしたら、それこそ私の望んでた事かもしれなかったけど……、 それはとても、 悲しかった。 38